鈴木 遼太郎(すずき りょうたろう、1996年2月18日 -… 鈴木 遼太郎(すずき りょうたろう、1996年2月18日 - )は、宮城県石巻市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。右投右打。 向陽小学校1年時に軟式野球を始め、蛇田中学校では軟式野球部に所属。石巻選抜チームにも所属し、中継ぎやロングリリーフを務め宮城県選抜大会の優勝に貢献した。 中学卒業後は石巻西高等学校に入学。3年夏の宮城県大会4回戦で上林誠知、熊谷敬宥、馬場皐輔擁する仙台育英と対戦したが、7回コールド負け。3年間での甲子園出場経験は無し。 東北学院大学では2年秋からベンチ入りし、リーグ通算39試合に登板。18勝を挙げ、防御率は1.76の成績を残し、2年時に最優秀新人賞、3、4年時に敢闘賞を獲得した実力を持つ。
伊藤 祐介(いとう ゆうすけ、1990年10月20日 - )… 伊藤 祐介(いとう ゆうすけ、1990年10月20日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学校3年時から投手として野球を始め、仙台市立西多賀中学校時代は七ヶ浜シニアに所属した。 聖和学園高等学校では、1年時の秋からベンチ入りする。2年時の秋からエースとなり、県大会3位で同校野球部創部4年目で東北大会初出場に貢献した。3年時の夏は、宮城県大会ベスト8で仙台二高と4-4で延長15回引き分け、再試合に末に0-3で敗れる。甲子園出場経験は無し。 東北学院大学に進学すると、仙台六大学野球連盟に加盟している野球部に入部する。1年時の春から公式戦に登板し、秋に新人賞、2年春に敢闘賞。
岸 孝之(きし たかゆき、1984年12月4日 - )は、宮… 岸 孝之(きし たかゆき、1984年12月4日 - )は、宮城県仙台市太白区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 社会人野球の七十七銀行硬式野球部(宮城県仙台市)の初代監督である父親の影響で、仙台市立西中田小学校3年となった1993年(平成5年)から安久野球部(現:西中田ゴールデンアクロス)で野球を始めた。1997年に仙台市立柳生中学校に入学。 2000年に宮城県名取北高等学校(名取市)に進学。自宅に最寄りだったことと、野球部が坊主頭を強制していないことが同校選択の理由であると後のインタビューで答えている。5月には野球部退部も考えたが踏みとどまった。同年夏の身長は170cm、体重が51kg(宮城県大会登録メンバー表より)で、BMIが17.65(適正体重:63.58kg)とやせ型であり、体格に恵まれているわけではなかった。
星 孝典(ほし たかのり、1982年5月4日 - )は、宮城… 星 孝典(ほし たかのり、1982年5月4日 - )は、宮城県名取市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)・コーチ。 投手だった兄の影響で小学校1年生の時に、捕手として下増田ブラックホークスで野球を始めた。中学3年生の時には宮城県大会の決勝戦で後に横浜ベイスターズへ入団する後藤伸也が所属していたチームと対戦。相手のスクイズを3回連続で外すなどの好プレーで、優勝に貢献した。 仙台育英高校への進学後は、2年生の夏に第81回全国高等学校野球選手権大会、3年生の夏に第82回全国高等学校野球選手権大会の全国大会へ出場。いずれも2回戦で敗れている。 高校卒業後は地元の東北学院大学へ進学。4年生だった2004年には仙台六大学野球の秋季リーグ戦で打率.529を記録するとともに、捕手部門でベストナインに選ばれた。
仁部 智(にべ さとし、1980年1月10日 - )は、秋田… 仁部 智(にべ さとし、1980年1月10日 - )は、秋田県由利本荘市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学校より野球を始めるが中学時代までは控え投手兼外野手。当時同市郡内に全県優勝したチームがあり小学校時代には全県大会出場が阻まれたり、チームとしても個人としても殆ど無名の存在。秋田県立本荘高等学校で1年次には外野手でベンチ入りし、2年時よりエース投手として定着。後にプロ入りした石川雅規や藤田太陽、高卒時にニューヨーク・メッツと契約した後松重栄(大曲工業高等学校)とともに県内では注目される存在になった。関西遠征で大阪桐蔭と練習試合をした際に、好きな選手を3人やるから転校させるようにスカウトされた(当時の同校のエースは左腕の谷口悦司)。
相沢 滋(あいざわ しげる、1972年 - )は、元社会人野… 相沢 滋(あいざわ しげる、1972年 - )は、元社会人野球の選手(投手)。七十七銀行に所属していた。 宮城県大崎市出身。宮城県古川高等学校時代、2年時の秋季大会で仙台育英高校を破りベスト4まで勝ち進み、宮城県選抜にも選ばれ台湾に遠征した。 高校卒業後は東北学院大学に進み、仙台六大学リーグで活躍した。 大学卒業後の1995年に社会人野球の七十七銀行に入行。 2004年の第75回都市対抗野球大会ではチーム初の準決勝進出に貢献した。 2008年の都市対抗野球大会の東北2次予選決勝で、摂津正擁するJR東日本東北に11安打を浴びながら121球を投げ1失点完投勝利。最優秀選手賞に選ばれた。この年限りで現役を引退した。