藤田 淳平(ふじた じゅんぺい、2000年5月14日 - )… 藤田 淳平(ふじた じゅんぺい、2000年5月14日 - )は、徳島県美馬市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。 徳島県美馬市出身。美馬市立江原北小学校時代に野球を始め、美馬市立江原中学校では軟式野球部に所属した。 川島高校では1年夏から公式戦に登板。2年夏の県大会は初戦で第4シードの徳島北と対戦し、148球で完投勝利を挙げると、その後も勝ち進み、ベスト4入りを果たした。3年夏は県大会で池田との初戦に敗れた。 東亜大学へ進学すると、主戦を担うようになった3年春のリーグ戦ではリーグトップの防御率0.73を記録し、MVPとベストナインを受賞。チーム6年ぶりとなる全日本大学選手権にも出場した。
深沢 和帆(ふかさわ かずほ、1983年9月16日 - )は… 深沢 和帆(ふかさわ かずほ、1983年9月16日 - )は、山梨県甲斐市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 駿台甲府高卒業後、東亜大学に進学し中国地区大学野球連盟に加盟している野球部に入部する。2年時に、外野手から投手に転向するが、ベンチ入りも出来なかったショックで中退。その後は、地元の社会人野球・クラブチームである山梨球友クラブでプレーしていた。 しかし、「投手としての自分をまだ試し切っていない」と四国アイランドリーグのトライアウトを受験し、2005年3月25日に香川オリーブガイナーズへの入団が決定した。 1年目の2005年は、制球難に苦しみ結果を出すことが出来なかったが、2年目の2006年は監督、コーチの助言をきっかけに急成長を遂げた。
中東 直己(なかひがし なおき、1981年10月5日 - )… 中東 直己(なかひがし なおき、1981年10月5日 - )は、広島県呉市出身のプロ野球選手(外野手、捕手)。NPBでは、広島東洋カープに所属していた2008年6月23日から2009年シーズンまで、中東 直瑛(なかひがし なおてる)というの登録名を用いていた。
坂原 秀尚(さかはら ひでなお、1976年10月11日 - … 坂原 秀尚(さかはら ひでなお、1976年10月11日 - )は、山口県下関市生まれ、広島県広島市出身の日本の高校野球指導者、及び保健体育科教諭。 下関市で生まれ、物心つく前に広島市に引越しした。五日市東小のスポーツ少年団で野球を始める。中学時代は、元社会人選手の顧問に鍛えられ100人を超える部員の競争を勝ち抜きレギュラーの座をつかんだ。広島電機大学附属高校では投手で、最後の大会は4回戦敗退。広島電機大学を経て、実業団のワイテックで27歳までプレー、スライダーを武器に活躍した。その後母校の広島国際学院大学で2年間コーチを務めた後、高校野球指導者を志し、教員免許取得のため、東亜大学に編入学する。その近くの下関国際高が、夏の県大会の組み合わせ抽選会直前に、選手たちが集団万引をして3カ月間の対外試合禁止を受けた不祥事の影響で、指導者がいない、校長がひとりで指導しているという話を聞き、2年時編入で3年間は下関にいるので、「給料はいりませんから、野球の指導をさせてください」と手紙を書いた。
大越 基(おおこし もとい、1971年5月20日 - )は、… 大越 基(おおこし もとい、1971年5月20日 - )は、宮城県宮城郡七ヶ浜町出身の元プロ野球選手(外野手、投手)、野球指導者。 七ヶ浜町に生まれ、七ヶ浜町立亦楽小学校2年生の時に野球を始める。宮城球場でロッテオリオンズの試合を観戦した際にサインをもらい、嬉しくて変色するまで机に飾っていたという。会社員だった父の転勤に伴い、小学校6年生の時に青森県八戸市に転校。このため一部文献では青森県出身と表記されている。八戸二中では速球派投手として評価され、市内の3つの高校の野球部から勧誘を受けたという。しかし小さい頃からの憧れもあり、寮生活に反対する両親を説得し、仙台育英に進学。 高校ではエースとして第61回選抜大会に出場。