赤木 志津子(あかぎ しづこ、1900年 - 1990年12月8日)は、日本の歴史学者。日本史、特に平安時代の文化史を専門とし、日本文学研究との学際的な研究を行い、お茶の水女子大学、都留文科大学などの教員を務めた。 大学を卒業した女性の歴史学者としては、最初期の先駆的存在であった。 福井県今立郡神明村(後の鯖江市)に生まれた。父は陸軍主計将校、母は御家人の家の娘で、志津子は、夭折した長男に続いて生まれた三姉妹の次女であった。父の転任にともない石川県金沢市へ移り、次いで父の台湾への派遣にともない、母の実家のあった静岡県静岡市へ移った後、1905年以降は父の転任に従って広島県広島市に定住した。このため、出身地は広島市とされることもある。
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