大島 多蔵(多藏、おおしま たぞう、1903年〈明治36年〉1月22日 - 1978年〈昭和53年〉5月20日)は、昭和期の教育者、政治家。衆議院議員(2期)。 佐賀県杵島郡、のちの江北村(現江北町)で、大島喜一の二男として生まれる。1929年(昭和4年)九州帝国大学法文学部法律科を卒業した。 佐賀県立鹿島中学校教諭、宮崎県立都城中学校教諭、熊本県中學済々黌教諭、佐賀県立佐賀商船学校教諭、同武雄中学校教諭、同唐津中学校教諭、長崎県立諫早中学校教諭、同対馬中学校教諭などを務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で佐賀県全県区に無所属で出馬して当選し、1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で佐賀県全県区に国民協同党公認で出馬して再選され、衆議院議員に連続2期在任した。
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