李 泰圭(イ・テギュ、朝鮮語: 이태규、1902年1月26日 - 1992年10月26日)は、大韓民国の化学者。日本の植民地統治期には数少ない朝鮮人の博士号取得者・帝国大学教員の一人であった。 本貫は全州李氏。政治家の李会昌の伯父に当たる。 大韓帝国忠清南道礼山郡に生まれた。京城高等普通学校を経て1922年に広島高等師範学校(現・広島大学)を卒業。 1927年に京都帝国大学理学部(現在の京都大学理学部)化学科を卒業し、1931年に『還元ニッケルの存在に於ける一酸化炭素の分解』という論文で理学博士号を取得した。 その後、同大学で教鞭を執り、1935年には同大学化学研究所助教授、1938年にプリンストン大学に派遣され研究者として在職し、1941年に京都帝国大学に戻り量子化学を研究、1943年に化学研究所教授となった。
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