若林 義孝(わかばやし よしたか、1900年(明治33年)5月30日 - 1981年(昭和56年)5月17日)は、昭和時代の政治家。衆議院議員(2期)。福井県敦賀市長、大阪府箕面市長。 三重県上野市にて生まれる。1927年(昭和2年)京都帝国大学法学部を卒業し、同大学生監事務嘱託を経て、国民同志会に入る。同会では理事に進み、長らく国民の政治教育に傾倒した。のち、学士会倶楽部大阪支部書記長を経て、1938年(昭和13年)12月12日に前福井県敦賀市長の森本一雄が逝去すると、同職の後任となった。 ついで、日本人造皮革工業連合会長、黒住教顧問などを歴任。1946年(昭和21年)第22回衆議院議員総選挙岡山全県区に自由党から出馬して当選し、第24回総選挙でも当選して計2期在任した。
出典:ウィキペディア「若林義孝」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
