雨森 俊彦(あめのもり としひこ、1876年〈明治3年〉 - 1927年〈昭和2年〉)は、陸軍軍医で保定軍官学校教官・医長。尾張藩士の成瀬光太郎の次男。京都の医家、雨森良意の養子。妻は淡路の藤江氏。号は良意。 成瀬光太郎の次男として生まれ、10歳の時に京都無二膏・雨森良意の養子となる。1896年(明治29年)京都医専を卒業し、1902年(明治35年)に保定軍官学校(軍官学校)の教官として大陸に渡る。この頃、藤江氏を妻とし、良意の名跡を継ぎ雨森良意となる。 俊彦が着任した頃の軍官学校校長は馮国璋であった。俊彦は段祺瑞が全省陸軍学堂に統一するまでの間、同校の教官、医長を務める。その間、清国戦時衛生に関する諸規定の制定を行った。
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