明智 憲三郎(あけち けんざぶろう、1947年 - )は、日本の作家、歴史研究家、情報処理技術者である。 本能寺の変について家康黒幕説を主張することで知られるが、この説については複数の歴史学者からまったく成立する余地がないと批判されている。 先祖は明智光秀の側室の子於隺丸(おづるまる)で、於隺丸は山崎の戦い後、京都山城に匿われ、神官の子として育てられたと主張している。明治まで一族は明田(あけた)の姓を名乗っていて、1887年(明治10年)頃、曽祖父にあたる明智潔が系図などの証拠の品を添えて政府に明智姓への復姓を願い出て認められた。復姓の理由は「将来愚昧な子孫が明智光秀より連綿と続いた家系を認識せず、明田を本姓と誤ることがあれば祖先の霊に相済まない」。
出典:ウィキペディア「明智憲三郎」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
