萩原 吉太郎(はぎわら きちたろう、1902年(明治35年)12月15日 - 2001年(平成13年)8月8日)は、日本の実業家。北海道炭砿汽船(北炭)、札幌テレビ放送(STV)社長などを務めた。 埼玉県蕨町(現:蕨市)で生まれる。1926年慶應義塾大学経済学部を卒業。在学中は吉田茂内閣の文相となる高橋誠一郎教授に認められ、学校に残ることを勧められたほどであった。 卒業後、三井合名に入社。常務理事から北炭会長に転じる島田勝之助の目に留まり、1940年、島田に同道する。1889年に創業の北炭は、当初、道内の炭鉱開発と鉄道敷設に関わっており、北海道開発の中心だった。その後、鉄道は政府に買い上げられ、炭鉱開発と海運に集中する。
出典:ウィキペディア「萩原吉太郎」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
