手塚 粲(てづか ゆたか、1900年(明治33年) - 1986年(昭和61年)5月14日)は、日本の会社員、アマチュア写真家。丹平写真倶楽部のメンバー。手塚治虫の父としても知られる。 司法官・手塚太郎の子として東京に生まれる。 1921年(大正10年)、中央大学法学部を卒業後、大阪の住友倉庫に入社する。後に、住友伸銅鋼管(1935年〔昭和10年〕、住友金属工業となる)に異動となる。同社にて勤務する一方、当初は東京写真研究会関西支部に所属、その後、丹平写真倶楽部へと参加した。前衛的な写真家であったとされ、丹平写真倶楽部においては、その実験的作風によって台頭し、丹平十傑の一人とされた。 「写真家四十八宜(しゃしんをうつすひとよんじうはちよろし)」は、48ヶ条にわたって写真家の心得をまとめたもので、丹平写真倶楽部の会員であった安井仲治によって光芒亭主人の名で発表されたが、これは同じく同倶楽部の会員であった手塚とともに考え出したものとされる。
出典:ウィキペディア「手塚粲」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
