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山根真治郎

やまね しんじろう
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山根 真治郎(やまね しんじろう、1884年〈明治17年〉9月30日 - 1952年〈昭和27年〉7月10日)は、日本のジャーナリスト。『国民新聞』、『東京新聞』などで、記者、編集者として活動し、日本最初の本学的なジャーナリスト教育組織としての新聞学院(1932年 - 1942年)を創設して学院長を務めた。 山口県玖珂郡玖珂町(後の岩国市の一部)に生まれる。商人の家の長男であったが、父親の投資の失敗で家は没落したという。 郷里にいた頃から、下関の新聞社に寄稿するなどしていたが、1901年に単身で大阪へ移り住み、泰西学館に学びながら、大阪万朝報社の校閲の仕事などを経験した。 山根は、泰西学館卒業後に徒歩で上京し、皿洗いなどしながら学資を確保1907年に中央大学法学部を1期生として卒業、奥田義人の推薦を得て『時事新報』記者となり、1910年に『中央新聞』へ移って、程なくして社会部長を務め、1914年には『国民新聞』へと転じた。

出典:ウィキペディア「山根真治郎」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋