岡村 輝彦(おかむら てるひこ)は、明治期の日本の判事、弁護士。浜松藩出身。鶴舞藩貢進生として開成学校に学び、ロンドンに留学してミドル・テンプルでバリスターの資格を得た。帰国して東京控訴院・大審院判事、横浜始審裁判所長を務めた後、辞官して弁護士として活動し、千島艦事件で弁護を行った。東京弁護士会会長、中央大学学長も務めた。 安政元年7月20日、同年12月20日、安政2年7月2日又は同年12月20日、浜松藩士岡村義昌の子として大坂蔵屋敷に生まれた。外祖父東園基貞により東園家の通字「基」から基之助と名付けられたが、後に光之助と改め、14,15歳頃輝彦と名乗った。 7歳の時、祖父岡村義理、父義昌が国元浜松に幽閉となり、家は困窮した。
出典:ウィキペディア「岡村輝彦」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
