平田 知夫(ひらた ともお、1880年(明治13年) - 1918年(大正7年)3月15日)は、日本の外交官。在カルカッタ領事を経て、在モスクワ領事を務めた。 福岡県宗像郡池野村(現宗像市)に、平田道見の長男として生まれる。福岡県立尋常中学修猷館(現福岡県立修猷館高等学校)、第一高等学校を経て、1905年(明治38年)、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業した。 在学中、1903年(明治36年)にはロシア帝国領浦潮から単身徒歩で朝鮮に向い、翌1904年(明治37年)には揚子江を遡って漢口から北京を訪れた。広田弘毅とは修猷館以来の同窓で親友であった。 1906年(明治39年)、第15回外交官及領事官試験に合格。
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