三浦 肆玖楼(みうら しくろう、1890年(明治23年)9月21日 - 1961年(昭和36年)10月4日)は、大正から昭和時代の日本の農学者。 島根県那賀郡井野村(現・浜田市三隅町)にて生まれる。島根県農林学校を経て、1917年(大正6年)東京農業大学を卒業。シンガポールの三五公司の社員となり、ゴムノキの芽接ぎ技術を完成、熱帯ゴム樹栽培の技術を確立した。1925年(大正14年)島根県邑智郡農会技師、1928年(昭和3年)岐阜高等農林学校勤務を経て、1931年(昭和6年)母校の東京農業大学講師となる。さらにアメリカのネブラスカ大学に留学。1934年(昭和9年)に帰国し、東京農業大学教授となり、同校の戦後復興に尽力。
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