権 量(けん りょう)は中華民国の政治家。北京政府の要人で、交通系の一員である。旧名は志煐。字は謹堂。号は適園。晩号は適園老人。 17歳のときに試験に参加した際に、権量と改名した。公立広東高等学堂を卒業した後、日本に留学する。東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業した。帰国後、湖北勧業公所総務科科長、公立京師商科大学監督を経て、清朝の工商部秘書、郵伝部秘書を歴任した。 中華民国成立後は、北京政府の農商部秘書、交通部参事となる。また、公民党の幹事にもなった。1916年(民国5年)5月から10月まで、交通部次長を代理・署理した。その翌年4月に、交通部次長代理に戻る。翌月に伍廷芳臨時内閣で署理(代理)交通総長を一時的ながらつとめた。
出典:ウィキペディア「権量」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
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