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饒

饒漢祥

ぎょう かんしょう
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饒 漢祥(ぎょう かんしょう、繁体字: 饒漢祥; 簡体字: 饶汉祥; 拼音: Ráo Hànxiáng; ウェード式: Jao Han-hsiang、1884年 - 1927年6月17日)は、清末民初の政治家。字は宓僧。別の署名に珀玕。 1903年(光緒29年)、癸卯科挙人となる。後に日本に留学して法政大学を卒業した。武昌起義(辛亥革命)が勃発すると武昌に向かい、武昌都督府で書記となる。後に黎元洪から抜擢され、秘書や秘書長に昇進した。 中華民国成立後、1912年(民国元年)11月に夏寿康の後任として湖北省内務司司長に任ぜられる。翌年、湖北省民政長署理となった。1914年(民国3年)、副総統黎元洪の秘書長となり、政治会議委員も務めた。

出典:ウィキペディア「饒漢祥」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋

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