劉 蕃(りゅう はん、繁体字: 劉蕃; 簡体字: 刘蕃; 拼音: Liú Fān; ウェード式: Liu Fan)は、清末・中華民国の政治家・司法官。字は季衍。 日本に留学し、1905年(光緒31年・明治38年)、法政大学法政速成科第一班を卒業した。その後更に同大学専門部法律科で学ぶ。帰国後は民政部七品小京官に任ぜられた。中華民国成立後の1912年(民国元年)9月、総検察庁総検察長羅文幹の辞任を受け、1915年(民国4年)11月まで劉蕃が同職を署理した。1916年(民国5年)10月、交通部航政司司長に任ぜられ、翌1917年(民国6年)7月まで務めている。その後、司法部首席秘書、安徽省広徳県知事、同省繁昌県知事、直隷省大興県県長を歴任した。
出典:ウィキペディア「劉蕃」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
