趙 欣伯(ちょう きんはく、1890年〈清光緒16年〉 - 1951年7月20日)は、中華民国・満洲国の政治家・法学博士(刑法)。北京政府では奉天派と目され、後に満洲国や南京国民政府(汪兆銘政権)に参加した。 清末、禁衛軍で衛兵となる。その後、省立天津北洋大学で学んだ。辛亥革命後は北京文明新劇団で旦角(女形)を演じている。また、この頃に国民党に加入した。1913年(民国2年)に二次革命(第二革命)に参加したが、敗北したために大連に逃れる。劉笑痴と改名して、日本人への中国語教師をつとめた。 1915年(民国4年)、日本に留学する。1920年(民国9年/大正9年)、明治大学法科を卒業し、併せて法学士の称号を取得している。
出典:ウィキペディア「趙欣伯」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
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