宇高 勲(うだか いさお、1907年 - 1979年12月26日)は日本の実業家、プロ野球球団経営者・スカウト。 1907年(明治40年)和歌山県生まれ。父親は鉄道省勤務。早稲田大学理工科卒業。大学卒業後単身中華民国青島市に渡り、貿易業に従事した。ここで得た利益をもとに帰国後、兵庫県神戸市で貿易商を営む傍ら、大阪市で旋盤工場を経営した。この時期に戦況の激化を考慮し、兵庫県尼崎市に電線工場を購入した。1944年(昭和19年)応召。応召期間中に大阪の旋盤工場は空襲で焼失したが、尼崎の電線工場は焼け残ったため、第二次世界大戦後、自動車クラクションの製造を開始した。この自動車部品製造会社、宇高産業は成功を収め、巨額の利益をあげた。
出典:ウィキペディア「宇高勲」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
