饒 正太郎(ぎょう しょうたろう、1912年 - 1941年) は台湾花蓮港庁 (現・花蓮県) 出身の詩人、官僚である。台湾の日本統治時代に東京で文筆活動を行った。 1912年 (大正元年)、花蓮港庁に生まれる。花蓮地方の名士饒永昌の長男で、母親は山口県人であった。幼少期に日本に留学し、1932年 (昭和7年)、早稲田大学政治経済学部に入学した。在学中に百田宗治主宰の詩誌『椎の木』に詩を発表した。また自身で詩誌『カイエ』『20世紀』を創刊し、編集者を務めた。1936年 (昭和11年) 卒業後、拓務省大臣官房秘書課に就職した。仕事のかたわら詩誌『新領土』などに作品を発表し、『20世紀』の詩人伊東昌子と結婚、二児をもうけた。
出典:ウィキペディア「饒正太郎」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
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