和田 巌 (わだ いわお、1898年〈明治31年〉7月9日 - 1923年〈大正12年〉2月14日)は日本の社会運動家、農民運動家。早稲田大学の学生運動団体であった民人同盟会および建設者同盟の中心人物。 青森県上北郡三本木村(現在の十和田市)出身。父・足也が畜産技師として岐阜県庁に赴任した関係で、旧制岐阜中学校(現在の岐阜県立岐阜高等学校)に進み、柔道部にて平野力三や三宅正一と知り合う。旧制中学時代の和田は、トゥルゲーネフやトルストイを好んで読んでいたという。その後、早稲田大学に進学する。 1919年(大正8年)2月、早稲田大学の学生を中心とした社会運動団体・民人同盟会の創立に参加する。しかし、まもなく中心メンバーの高津正道と和田の間で路線対立が生じる。
出典:ウィキペディア「和田巌」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
