佐藤洞潭(さとう どうたん、1842年〈天保13年〉 - 1900年〈明治33年〉6月9日は、幕末の仙台藩士である。維新後、猊鼻渓の開拓に息子の佐藤猊巌(さとうげいがん)、佐藤東華(さとう とうか)と取り組んだ。 1867年(慶應3年)に、仙台藩の立会人(オブザーバー)として幕末の京都を訪問した。鳥羽・伏見の戦いを実見した。仙台藩は官軍との、直接戦闘に参加したという記録は無く、(危険が迫った時は京都・大原に避難している)。洞潭は無事、一関市東山町長坂に生還している。東山町長坂の猊巌の生家には、その時に使った、陣笠、刀、鉄砲が保存されていた。その当時の京都(洛中・洛外)の様子を息子の猊巌に詳しく話している。
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