石井 玄菴(いしい げんあん、文政11年(1828年) - 明治29年(1892年))は、肥前国佐賀藩武雄領の医師。「武雄の近代医療の父」といわれる。諱は宗直(むねなお)。 肥前国小城郡三里村西川(現小城市)に生まれる。父は三岳寺に仕える僧侶石井浄謙。当石井家は、小城郡晴気郷の出身の高僧で、足利学校の庠主をつとめて、江戸幕府の初代将軍徳川家康の信任が厚かった高僧三要元佶の家臣谷口杢太夫の次男浄玄を祖とする。元佶は、佐賀藩祖鍋島直茂に招かれて三岳寺を開基したが、浄玄は直茂より鍋島家の一族石井家の名字を賜り石井浄玄と改名。以来、三岳寺の寺家として続いた。 玄菴は、天保11年(1840年)、医師を志して、中村凉庵に師事し、続いて伊東玄朴に学んで西洋医学を修得した。
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