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伏見広綱

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伏見 広綱(ふしみ ひろつな)は、平安時代末期の人物。源頼朝の右筆。伏見冠者藤原広綱と呼ばれる。 伏見氏は本姓は藤原氏で、遠江国佐野郡の豪族。広綱も同郡掛河(現在の静岡県掛川市)の出身。 文筆に秀で、鎌倉に幕府を構えた源頼朝が、朝廷の事に通じている者を探していた所を安田義定の推挙を受け、寿永元年(1182年)5月12日、鎌倉に参じて頼朝の右筆となった。その直後に頼朝が源義重の娘(祥寿姫)に宛てた艶書を届ける使いをしている。 寿永元年(1182年)11月10日、頼朝の愛妾亀の前を飯島(逗子市)の自邸に匿っていた事で、頼朝の妻北条政子の怒りを買い、政子の命を承けた牧宗親に邸を破壊された。広綱は亀の前を連れ、命からがら大多和五郎義久(三浦義明の子)の鐙摺(葉山町)の邸に逃れた。

出典:ウィキペディア「伏見広綱」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋

📍 静岡県掛川市出身💼 平安時代末期の人物