村山 等安(むらやま とうあん、生年不詳 - 元和5年10月26日(1619年12月1日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての人物。長崎で代官を務めた。文献によっては「東安」「東庵」「等庵」「当安」とも記されている。 等安の出自は、尾張国(現・愛知県清須市)出身の他に、安芸出身とも博多出身ともいわれているが明らかではなく、生年も不明である。 天正年間(1573 - 1592年)に長崎に流れ着き、金屋町に住んだ。才知に長け、弁舌さわやかで、ポルトガル語にも幾らか通じていたという。長崎町衆の1人として朱印船貿易商となって、豪商の末次興善(末次平蔵の父)たちの助けを受け、当時珍重された呂宋壺(ルソン島で焼かれた陶器。
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