小錦 八十吉(こにしき やそきち、1887年(明治20年)10月15日 - 1943年(昭和17年)3月3日)は、山形県西村山郡三泉村(現:山形県寒河江市)出身で二十山部屋に所属した大相撲力士。本名は後藤 鶴松(ごとう つるまつ)。最高位は小結。 1887年10月15日に山形県西村山郡三泉村(現:山形県寒河江市)で生まれる。上京して二十山部屋へ入門後、1901年5月場所で初土俵を踏んだ。四股名は出身地に因んで「山泉」と名乗った。当初は苦戦して出世まで時間が掛かったが、両國國技館(初代)のこけら落としとなった1909年6月場所で新入幕を果たし、この場所で7勝2敗1預の好成績を収めると、1910年1月場所では梅ヶ谷藤太郎(2代)を破って金星を獲得するなど、上位に通用するまでに力を付けた。
出典:ウィキペディア「小錦八十吉 (1887年生)」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
