西村 滄洲(にしむら そうしゅう)は幕末の佐渡奉行所地役人、越後府・佐渡県・相川県官吏。退官後暇修義塾を営んだ。 文政5年(1822年)2月佐渡奉行所地役人長井克智の次男として生まれた。田中葵園に入門、修教館に入学して経史を学んだ。天保7年(1836年)学問所見習、天保10年(1839年)日記掛となり、銀山番所役、穿鑿掛、水替掛を歴任した。 安政元年(1854年)公事方役。文久元年(1861年)山方役として江戸に赴任し、田口江村に師事した。文久2年(1862年)頃夷番所定番役。慶応元年(1865年)再び公事方役となり、献金の事務を兼任した。慶応2年(1866年)地方役として再び江戸に赴任した。慶応3年(1867年)地方掛頭取となり、税務を担当した。
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