白洲 退蔵(しらす たいぞう、1829年8月14日(文政12年7月15日) - 1891年(明治24年)9月10日)は、江戸時代から明治にかけて活躍した日本の役人、実業家である。神戸女学院の創設者の一人。白洲文平の父で、白洲次郎の祖父。 退蔵は1829年(文政12年)に、三田藩の儒官、すなわち三田藩で儒学を教授している人物の子として、三田藩内(現・兵庫県三田市)の薬師寺町で生まれた。幼名は純太郎。諱は良弼(りょうすけ)。 篠崎小竹、古賀謹一郎から学び、藩校「造士館」の教授になる。 1862年(文久2年)町奉行兼郡奉行になり、財政再建に取り組む。1863年(文久3年)に藩主九鬼隆義に請われて藩重役、大参事として藩政に加わる。
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