小川 寛爾(おがわ かんじ、1902年 - 1944年)は千葉県出身の飛行家。名手として知られたが、第二次大戦中に航空事故で没する。航空有功章受章。 千葉県山武郡南郷村(成東町を経て現山武市)で1901年(明治34年)3月28日に生まれる。小川政蔵の三男で県立成東中学校に進学。当時開校したばかりの日本飛行学校の記事を見て、飛行家への憧れを持つ。最年少練習生として紹介されていた辻村泰作にファンレターを送るなどしていたが、4学年で中退し東京へ出た。 唯一の教官であり共同経営者だった玉井清太郎の事故死と大水害の影響で蒲田へ移転、自動車学校へと路線変更していた元日本飛行学校。寛爾はここで運転や発動機修理の技術を学び、整備工見習として働いている。
出典:ウィキペディア「小川寛爾」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
