中冨 三郎(なかとみ さぶろう、1876年(明治9年)2月 - 1957年(昭和32年)3月17日)は、日本の実業家。久光製薬の前身にあたる久光合名会社の創業者であり社長である。 平成31年3月28日、中冨記念くすり博物館に銅像が建立された。 基肄郡田代村(現佐賀県鳥栖市)出身。久光与市の三男として誕生した。 1903年(明治36年)12月10日、佐賀県三養基郡田代村大字田代又203番地において、兄弟(安次郎・友三・伍郎)とともに久光兄弟合名会社を設立、代表社員となった。 1905年(明治38年)、旧筑後国久留米藩士族中冨家の養子となり、中冨姓となった。和紙に薬剤を展延した膏薬づくりを研究し、1907年(明治40年)に「朝日万年膏」を改良し、ついで健胃下剤の「快復丸」、消炎鎮痛の「アスピリン丸」、感冒薬の「赤龍丸」などを開発し、朝鮮・中国・台湾などへ販路を拡大。
出典:ウィキペディア「中冨三郎」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
