甲州屋 忠右衛門(こうしゅうや ちゅうえもん、文化6年(1809年 - 明治24年(1891年)12月24日)は、江戸時代後期・明治初期の実業家。号は可雲。篠原忠右衛門とも。横浜商人のさきがけの一人。 甲斐国八代郡小石和筋東油川村(笛吹市石和町東油川)に生まれる。生家の篠原家は高三十四石余を保有し、長百姓を務め村政にも携わる家柄。東油川村の立地する甲府盆地の東郡地域は商品作物として養蚕や綿作が行われており、篠原家でも30石(2町3反余)の田地を耕作し、奉公人を雇も雇っている。忠右衛門は少年期から江戸の商家で奉公し、父の死去を契機に帰郷し、家督を相続する。 安政4年(1857年)には、東油川村の隣村である山梨郡西油川村(甲府市西油川町)の名主・次兵衛とともに石和代官所管下113か村の惣代として、美作国津山藩領の播磨国小豆島産塩の移入を計画している。
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