高田豊四郎(たかた とよしろう、1885年(明治18年)7月10日 - 1961年(昭和36年)11月3日、旧姓:松原)は、日本の篤農家である。梨の黒斑病対策として鳥取県に初めてパラフィン紙袋を持ち込んだことや、傾斜地のオールバック整枝を発案したことで知られる。 1885年(明治18年)7月10日、鳥取県東伯郡三朝村(現在の東伯郡三朝町)大字横手村の農家の三男として生まれる。松原家は江戸時代には庄屋も務めた名家であり、父の松原虎之丈(虎之丞とも)は村長を13年務めた。虎之丈は山村にも新産業を導入しようと考え、岡山県から小山益太を招いて講演会を開催し、自身も果樹栽培を始めた。果樹栽培に興味を持った豊四郎は家業の農業をする傍ら年に2~3回は小山のもとを訪ねるなどして果樹栽培の技術を磨いていった。
出典:ウィキペディア「高田豊四郎」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
