小笠原 明峰(おがさわら めいほう、1900年6月26日 - 1946年6月20日)は、日本の映画監督、脚本家、無声映画時代の京都の映画会社「小笠原プロダクション」を率いた実業家である。名は明峯とも表記される。本名は長隆(ながたか)。子爵小笠原長生の長男である。 1900年6月26日、旧唐津藩主、子爵小笠原家第14代当主小笠原長生(元海軍中将、元宮中顧問官、元学習院御用掛)を父とし、秀子(元前橋藩主、伯爵松平直方の長女)を母とし、その長男として東京府東京市に生まれる。 1923年、「小笠原明峰」を名乗り、23歳にして京都で「小笠原プロダクション」を設立、片岡千恵蔵(当時本名の植木進)らが専属となった。
出典:ウィキペディア「小笠原明峰」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
