木下 陽子(きのした ようこ、1947年 - )は、朝鮮民主主義人民共和国の工作員で、1973年に埼玉県で起こった2児拉致事件の犯人。外国人登録名は洪寿恵(ホン・スヘ)。1977年以降、日本に帰化したものと考えられる。 1947年(昭和22年)、長野県に住む在日韓国人の父親と日本人の母親の間に生まれた。国籍は大韓民国籍で、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)とは関係を持たずに育った。成績優秀で琴をたしなむ大人しい女性で、県立長野県松本深志高等学校から青山学院大学文学部英文科へと進んだ。当時、朝鮮半島出身者向けの奨学金には在日本大韓民国民団(民団)系と朝鮮総連が共同で運営している朝鮮奨学会と、朝鮮総連中央の教育会が出す奨学金があったが、彼女が選んだのは総連中央の方だった。
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