新高 恵子(にいたか けいこ、本名:工藤 琳子(くどう たまこ)、1934年4月18日 - )は、日本の元女優。 青森県青森市出身。名門・青森高校時代は、寺山修司の一年上級生だったが、お互いに面識はなかったという。 やがて彼女は上京、新藤孝衛監督にすすめられ、当初はピンク映画の人気女優として活躍した。しかし、やがて同じセットで2本の映画を同時に撮影するというような現場に遭遇し、虚しさを感じるようになった。同郷の寺山修司と会った際には彼は、あの映画の演技はこうだったよね、と詳細に新高を演技について語ったため、彼女は感動したという。彼女は、寺山の主宰する劇団、「天井桟敷」に参加し看板女優になっていった。
出典:ウィキペディア「新高恵子」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
