萱場 四郎(かやば しろう、1898年 - 1974年)は宮城県出身のエンジニアであり兵器開発者。萱場工業を創設した。後に萱場 資郎と改名。 宮城県宮城郡七郷村にて1898年(明治31年)4月1日、萱場富次郎の二男として生まれる。生家は平家の末裔と言われる素封家で、祖父の利兵衛は小学校長及び村長を務めた。四郎は東北学院中等部を1916年(大正5年)3月に卒業し、早稲田大学理工科に進学。1919年(大正8年)11月に萱場発明研究所を東京市芝区日之出町に開設する。同年大学を中退。1921年(大正10年)に海軍艦政本部の嘱託となる。1923年(大正12年)関東大震災で被災したため発明研究所を閉鎖したが、1927年(昭和2年)1月に芝区西応寺町で新たに萱場製作所を創業。
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