吉江 一行(よしえ かずゆき、生年不明 - 1945年10月3日) は、日本の元アマチュア野球選手。早稲田大学野球部で外野手として活躍した人物である。福島県出身。 磐城中学(現・福島県立磐城高等学校)から1941年早稲田大学に入学、翌1942年より東京六大学リーグ戦に出場した。 1943年10月16日には出陣学徒壮行早慶戦(最後の早慶戦と呼ばれる試合)に5番・中堅手として出場し、10-1の勝利に貢献した。翌1944年に笠原和夫の後を受けて、第35代早稲田大学野球部主将に就任。既に戦争の激化のため野球の試合は行われなくなっていたが、元監督飛田穂洲は「戦争が終わると必ず野球は復活する」との信念の下、当時のマネージャーだった相田暢一に野球用具の管理を任せていた。
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