スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
佐藤 明義(さとう あきよし、1992年3月3日 - )は、… 佐藤 明義(さとう あきよし、1992年3月3日 - )は、北海道砂川市出身の元アマチュア野球選手(投手)、監督。2022年から2023年まで、すながわリバーズの監督を務めた。 小学生時代は砂川スティッカーズで、中学生時代は砂川中学校の野球部で野球をプレー。 砂川高等学校では1年秋から主戦投手としてほとんどの試合で登板。身長166cmと小柄ながら、右腕エースとして活躍した。高校卒業後は上京し、創価大学に進学。東京新大学野球連盟所属の野球部でも投手としてプレー。4年生のときに同部が出場した第62回大学選手権ではベンチ入りするも、同期には石川柊太がおり、同大会での登板の機会は無かった。 大学卒業後は航空自衛隊に入隊し、北海道に戻る。
杉山 俊介(すぎやま しゅんすけ、1977年6月5日 - )… 杉山 俊介(すぎやま しゅんすけ、1977年6月5日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 小学3年の時に野球を始める。 砂川北高校では1年生の時からレギュラーとなり、2年生の時に正捕手として甲子園(第76回選手権大会)に出場(北北海道代表)。1回戦の島根県代表・江の川高校(現・石見智翠館高校)戦に6-5で勝利。同校の甲子園初勝利に貢献した。2回戦は南北海道代表の北海高校と対戦し、史上初の北海道対決として注目を集めたが1-10で大敗。 1995年、副キャプテンとして臨んだ最後の夏は北北海道大会まで進出するも、最終的に代表校となった旭川実業高校に2-4で敗れた。この試合で杉山は2点本塁打を放っている。
関吉 雅人(せきよし まさと、1974年4月24日 - )は… 関吉 雅人(せきよし まさと、1974年4月24日 - )は、北海道雨竜郡妹背牛町出身の元プロ野球選手(外野手)。 高校・現役時代と、俊足強打の外野手として鳴らした。 砂川北高2年秋は全道大会2回戦で宇佐美康広がいた稚内大谷高に延長15回サヨナラ勝ちしたが準決勝で延長11回で敗れた。1992年、3年生の夏に北北海道大会決勝で満塁本塁打を放つなど活躍して3番レフトで夏の甲子園に出場。1回戦で福井県代表の北陸高校と対戦し4-5で逆転負けを喫したものの、関吉はこの試合で左中間スタンドへ2点本塁打を放ち、プロ注目の長打力を披露した。ゴジラこと松井秀喜と同学年のため、高校時代は「北のゴジラ」と呼ばれていた。
西島 貴之(にしじま たかゆき、1971年8月12日 - )… 西島 貴之(にしじま たかゆき、1971年8月12日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。 砂川北高では1年秋に全道大会で投手でベスト8。3年夏の北北海道大会決勝で逆転サヨナラ負け、1989年オフにドラフト外で福岡ダイエーホークスに入団。 1990年と1992年にはマイナーリーグA級のサリナス・スパーズ(英語版)に野球留学した。この時、同学年の大越基とチームメイトであった。1992年には帰国後に一軍初出場を果たす。 俊足の外野手として期待されたが一軍には定着できずに2000年10月、戦力外通告を受け現役を引退。 現在は、故郷に戻り会社員のかたわら、札幌円山リトルシニアでコーチを務めている。
渡部 勝美(わたなべ かつみ、1962年5月16日 - )は… 渡部 勝美(わたなべ かつみ、1962年5月16日 - )は、北海道芦別市出身の元社会人野球選手(投手、左投右打)・コーチ・監督。長男は元プロ野球選手の渡部龍一。 砂川南高校では、エースとして1979年秋季北海道大会準々決勝に進むが、旭川実に惜敗。卒業後の1981年、北海道5強の一角である大昭和製紙北海道(白老町)に入社。しばらくの間は芽が出なかったが、貴重な左腕として徐々に重要なポジションを任せられるようになる。1988年の都市対抗ではエースとして準決勝に進むが、東芝の三原昇に抑えられ敗退。翌1989年の都市対抗は決勝に進出、プリンスホテルに惜敗するが同大会の久慈賞を獲得する。30歳となった1992年にはバルセロナオリンピック野球日本代表に選出され、銅メダル獲得に貢献。