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高橋 幸佑(たかはし こうすけ、2006年12月31日 - … 高橋 幸佑(たかはし こうすけ、2006年12月31日 - )は、北海道札幌市生まれ、神奈川県横浜市都筑区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。中日ドラゴンズ所属。 横浜市立茅ケ崎台小学校1年時に、近所の友人の誘いで野球を始めた。横浜市立茅ケ崎中学校時代は軟式野球をプレーし、3年時には横浜市選抜入りを果たし県大会優勝を経験した。 2018年および2019年の夏の甲子園観戦をきっかけに、北照高等学校へ一般入試で進学し、2年春よりベンチ入りをした。また、ウエイトトレーニングに励んだ結果、入学時120km/h台だった球速は3年時には149km/hを計測し、U-18代表候補に選ばれるまでに成長した。 2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、中日ドラゴンズから5位指名を受けた。
佐々木 斗夢(ささき とむ、1997年5月20日 - )は、… 佐々木 斗夢(ささき とむ、1997年5月20日 - )は、日本のプロ野球選手(内野手・外野手)、野球指導者。右投右打。四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグス所属で、2026年シーズンより選手兼任監督を務める。 北海道札幌市出身。父親の指導により6歳の時に野球を始める。 北照高等学校では3年生時に全国高等学校野球選手権南北海道大会決勝に進出したが、北海高等学校に敗退した(佐々木は三塁手で出場)。 立正大学に進学し、野球部では、3年生の2018年に東都大学野球秋季リーグの対東洋大学戦で藤井聖から本塁打を放つなどの活躍を見せ、リーグ戦や第49回明治神宮野球大会の優勝メンバーとなる。
齋藤 綱記(さいとう こうき、1996年12月18日 - )… 齋藤 綱記(さいとう こうき、1996年12月18日 - )は、北海道札幌市北区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。中日ドラゴンズ所属。 札幌市立新光小学校3年生のときに新光スワローズで野球を始め、当初から投手を務めていた。札幌市立光陽中学校では軟式野球部に所属。 北照高校へ進学すると、1年秋からベンチ入り。1年秋の明治神宮大会準決勝(対仙台育英)、2年夏の甲子園1回戦(対常総学院)にリリーフで登板した。2年秋の北海道大会・小樽地区予選では、5回参考記録(コールドゲーム)ながら完全試合を達成。3年時には、コーチに就任した松岡弘から呼吸法・体重移動・精神面に関する指導を受け、3年春の北海道大会では優勝を果たした。
村上 海斗(むらかみ かいと、1995年7月7日 - )は、… 村上 海斗(むらかみ かいと、1995年7月7日 - )は、京都府綴喜郡井手町出身の元プロ野球選手(外野手・投手)。 井手町立井手小学校では4年生のとき軟式の井手ジャガーズで野球を始める。井手町立泉ヶ丘中学校では南山城ボーイズに所属した。 北照高校進学後、控えの投手兼外野手として2年春、3年春・夏の3度甲子園に出場した。甲子園通算4試合、打率.167(6打数1安打)。高校の同期には吉田雄人、1学年後輩には齋藤綱記がいる。 奈良学園大学に投手として入学。しかし、肩の状態が思わしくなかったことから2年より外野手に転向し、その春からリーグ戦に出場。3年の第65回全日本大学野球選手権大会では準々決勝の関西国際大学では本塁打を放ち、勝利に貢献。
吉田 雄人(よしだ ゆうと、1995年4月21日 - )は、… 吉田 雄人(よしだ ゆうと、1995年4月21日 - )は、北海道茅部郡森町出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 小学1年から森クラブ野球少年団で野球を始める。森中時代は函館東リトルシニアで投手兼外野手の傍ら、俊足を活かして陸上部も掛け持ちしていた。 北照高等学校には当初投手として入学したが、打者としての大成を目指し野手に専念。1年秋からレギュラーの座を獲得すると、2年春、3年春・夏と、3度にわたって甲子園球場での全国大会出場を経験した。全国大会では、通算5試合で16打数8安打を記録。主将を務めた3年時には、夏の選手権大会後に開かれた第26回AAA世界野球選手権大会(IBU野球ワールドカップ)に、日本代表のメンバーとして出場。
又野 知弥(またの ともや、1992年10月9日 - )は、… 又野 知弥(またの ともや、1992年10月9日 - )は、北海道函館市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 小学3年生の時地元の少年野球チーム昭和ジャガーズに入り野球を始める。函館市立亀田中学校時代は函館東シニアに所属し3年春に全国出場した。 北照高校では1年夏からベンチ入り。2年夏は一塁手・外野手として出場。6番に座り、打率.5割3分8厘・2本塁打10打点の活躍で南北海道大会準優勝に輝く。2年秋からエースで4番を務め北海道大会では3試合連続完投勝利を挙げ、防御率1.50の投球で10年ぶりの優勝に貢献した。甲子園は春夏連続で出場し、甲子園の春夏両大会で本塁打を放った。 2010年のドラフトで東京ヤクルトスワローズから4位指名を受けた。
西田 明央(にしだ あきひさ、1992年4月28日 - )は… 西田 明央(にしだ あきひさ、1992年4月28日 - )は、京都府京都市伏見区出身の元プロ野球選手(捕手、内野手)、コーチ。右投右打。 小学1年生の時に京都の伏見桃山クラブで投手として野球を始める。京都の伏見中学校時代は京都ファイターズに所属、主に捕手でプレーした。 河上敬也監督に誘われ北照高校へ野球留学。1年春から長打力を期待され、捕手以外のポジション(二塁手、三塁手、外野手)で出場。2年秋の新チームから主将として捕手へ戻った。打っては3番打者として勝負強い打撃で、9試合9打点を記録し、北海道大会優勝に貢献。秋だけで14本塁打を量産。守ってはエース・又野知弥を好リードし、春夏連続甲子園出場を果たした。
植村 祐介(うえむら ゆうすけ、1988年7月5日 - )は… 植村 祐介(うえむら ゆうすけ、1988年7月5日 - )は、大阪府茨木市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は北海道日本ハムファイターズのブルペン捕手兼スコアラー補佐。現役時代に捕手を未経験ながらブルペン捕手を務めている。 大阪府茨木市に生まれ、小学校1年の時に地元の軟式野球チーム・安威インディアンズで野球を始める。野球人生のスタートは捕手であった。茨木市立北中学校では2年の練習中に北照高校の河上敬也監督の目に留まり、北海道小樽市へ野球留学する。 高校では1年春からベンチ入り。2年春の北海道大会決勝・札幌第一高校戦で投じた速球は自身最高の146km/hを記録し、田中将大(駒大苫小牧高校)とともに脚光を浴びる。
加登脇 卓真(かどわき たくま、1987年6月12日 - )… 加登脇 卓真(かどわき たくま、1987年6月12日 - )は、京都府城陽市出身の元プロ野球選手(投手、内野手)。現在は警察官として勤める。 中学時代はボーイズで全国制覇後、高校は京都から北海道の北照高校へ野球留学。1年からレギュラーに定着し、投打の両面で活躍した。高校通算36本塁打を記録。甲子園出場はならなかったが、3年の夏の南北海道大会決勝で、当時2年生だった駒大苫小牧高校の田中将大からホームランを放つ。 同年、超高級左腕と評された辻内崇伸と共に、投手として高校生ドラフト3位で読売ジャイアンツ(以下、巨人)に入団。しかし、一軍での出場のないまま、2008年(平成20年)10月1日に巨人から戦力外通告を受けた。
上村 和裕(うえむら かずひろ、1983年2月20日 - )… 上村 和裕(うえむら かずひろ、1983年2月20日 - )は、北海道滝川市出身の元プロ野球選手(捕手)。 捕手としては珍しい俊足で、一時期スイッチヒッターであったが、後に右打ちに専念することとなった。 滝川シニアで全国ベスト4。北照高では2年の時は外野手(1学年上に米野智人がいたため)。3年春の甲子園で主将を務めたが、2回戦で福島商業の左腕芳賀健の前に惜敗した。 夏は決勝で札幌南高校に敗退し、甲子園出場はならなかった。 2000年のドラフト3位でオリックス・ブルーウェーブに入団。 2年目の2002年に高卒捕手としては早くも一軍出場を果たす。しかし2003年は打撃の不振で一軍出場が無かった。2004年も不振は続き、夏に気分転換に左打ちで打撃練習をしていた際に、当時二軍打撃コーチだった藤井康雄に左打ちを褒められ、スイッチヒッターに転向する。
米野 智人(よねの ともひと、1982年1月21日 - )は… 米野 智人(よねの ともひと、1982年1月21日 - )は、北海道札幌市北区出身の元プロ野球選手(捕手、外野手、内野手)、コーチ。右投右打。Westside合同会社代表。 札幌新琴似シニアリーグ、小樽市の北照高等学校では2年春の選抜に出場、1999年度ドラフト会議にてヤクルトスワローズから3位指名を受け、入団。背番号は51。 2000年は一軍出場なしに終わる。 2001年に一軍に初昇格する。9月7日の対巨人戦で途中起用され、プロ入り初出場を記録した。 2002年は初安打を放ち、8月11日の対横浜ベイスターズ戦で初の先発出場。その試合で吉見祐治からプロ初本塁打を放ち、初打点を記録する。8月19日の阪神戦では11回裏二死満塁からプロ初サヨナラ打を放った。
大脇 浩二(おおわき こうじ、1979年9月2日 - )は、… 大脇 浩二(おおわき こうじ、1979年9月2日 - )は、大阪府摂津市出身の元プロ野球選手(内野手)。 高槻シニアから北照高へ進学。3年春は道大会優勝、夏は南北海道大会ベスト4。1997年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから3位指名を受け、12月3日に契約金5000万円・年俸500万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。背番号は54。 小気味良い守備とシュアな打撃が売りの内野手として期待され1998年ファーム日本選手権制覇に貢献や1999年横浜スタジアムでのフレッシュオールスターゲームイースタン・リーグ選抜選出果たしたが、そのセールスポイントも肘の故障のため発揮出来ず、結局一軍出場のないまま2001年10月11日に戦力外通告を受け、現役引退。
河上 敬也(かわかみ たかや、1959年4月1日 - )は、… 河上 敬也(かわかみ たかや、1959年4月1日 - )は、北海道小樽市出身の野球指導者。高校野球監督を経て、2022年に北海道フロンティアリーグ・美唄ブラックダイヤモンズの初代監督を務めた。 現役時代は外野手としてプレー。北照高校3年夏は、南北海道大会準決勝で敗退した。1977年に同高を卒業し、1981年に札幌大学経営学部経営学科を卒業した。同年に北海道教育大学札幌校の聴講生となり、常勤講師として母校・北照高校の硬式野球部の監督に就任。1983年に聴講生を終了し、同高の保健体育教諭(のち、特任講師)となる。 1991年の夏の甲子園で小樽支部の高校としては初となる甲子園大会出場を果たし、2000年春には甲子園初勝利を達成した。