スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
ウメビンユオ オケム明(ウメビンユオ オケムめい、2006年… ウメビンユオ オケム明(ウメビンユオ オケムめい、2006年4月10日 - )は、長野県松本市出身、北海道旭川市育ちのプロ野球選手(外野手・育成選手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 NPBでの登録名はオケム。 小学校入学前に松本市から旭川市に転居。旭川啓明小1年の時に啓明ライオンズで野球を始め、当時のポジションは捕手であった。旭川東光中では軟式野球部に所属。旭川志峯高校での最高成績は3年夏の北北海道大会4強であった。 2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、埼玉西武ライオンズから育成7位指名を受けた。11月18日には支度金350万円・年俸280万円(金額はいずれも推定)で仮契約を締結。
持丸 泰輝(もちまる たいき、2001年10月26日 - )… 持丸 泰輝(もちまる たいき、2001年10月26日 - )は、北海道旭川市出身のプロ野球選手(捕手)。右投左打。広島東洋カープ所属。 旭川市立永山西小学校2年時に永山西クラブで野球を始め、旭川市立永山中学校ではエースで4番を務めた。 高校は旭川大学高等学校に進学し、1年春からベンチ入り。2年夏には甲子園大会に出場し、1回戦の佐久長聖戦に「4番・左翼手」で先発出場。一時勝ち越しとなる適時打を放ったが、チームは大会史上初となるタイブレークの末に敗れ、初戦敗退した。新チームでは捕手にコンバートされ、3年夏も甲子園大会に出場。1回戦の星稜戦では「2番・捕手」で先発出場し、相手エースの奥川恭伸から1安打を放ったが、チームは0-1で惜敗した。
沼田 翔平(ぬまた しょうへい、2000年6月24日 - )… 沼田 翔平(ぬまた しょうへい、2000年6月24日 - )は、北海道旭川市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 旭川市立神居小学校では4年生時に野球を始めるも、シラカバアレルギーを発症し、バレーボールに転向。6年生時に永山ウィングのスパイカーとして全道優勝を経験。旭川市立神居中学校で再び野球に転向し、軟式野球部に所属した。 旭川大高校では1年春からベンチ入りし、主力投手として活躍。3年夏はエースとして北北海道大会を勝ち抜き9年ぶりの優勝に貢献した。第100回全国高等学校野球選手権記念大会では初戦の佐久長聖高校戦に先発し、8回4失点(自責0)と粘投したが、チームはタイブレークの末敗れた。
田沢 由哉(たざわ ゆうや、1987年4月17日 - )は、… 田沢 由哉(たざわ ゆうや、1987年4月17日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 旭川大高に入学すると、1年生にして早くも甲子園の舞台で登板し141km/hという速球を投げて注目された。 2005年夏、旭川商高に北北海道大会旭川地区代表決定戦で敗れ、甲子園出場を逃した。同年のドラフトで西武ライオンズに3巡目に指名され、投手として入団。 2006年は2軍で7試合に投げて防御率6.63、2007年は15試合に投げて防御率8.29、30四球、被本塁打8本とまだまだ荒削りなピッチングであった。 2009年シーズン終了後に内野手へ転向した。 2010年はファームで主に三塁手、外野手として出場するも打率.108と結果を残せず10月1日、球団から戦力外通告を受けた。
乱橋 幸仁(らんばし ゆきひと、1966年4月20日 - )… 乱橋 幸仁(らんばし ゆきひと、1966年4月20日 - )は、北海道根室市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 北海道根室市出身。元はスケート選手であった。 旭川大学高等学校では1984年夏の甲子園北北海道予選決勝に進むが、広尾高に逆転負けを喫し甲子園出場を逸する。道内屈指の左腕として知られていた。 同年のドラフト6位でヤクルトに入団。 1986年には中継ぎとして6試合に登板。 1987年に二軍では主に中継ぎで登板し、左打者専用のリリーフとして起用されることが多かった。カーブ、スライダー、シンカーなどを武器とした。 引退後は打撃投手に転向し、その後はスコアラーも兼務した。 2016年11月2日退団。
鈴木 貴久(すずき たかひさ、1963年11月20日 - 2… 鈴木 貴久(すずき たかひさ、1963年11月20日 - 2004年5月17日)は、北海道旭川市出身のプロ野球選手(外野手)。 旭川大高2年時の1980年に、北北海道代表として夏の選手権に出場。同大会では、北北海道代表校として初めて2勝を挙げた。 高校卒業後、社会人野球の電電北海道を経て、1984年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから5位指名を受け入団した。 1985年はウエスタン・リーグで打率.296、8本塁打を記録。 1986年に頭角を現す。 1987年にレギュラーを獲得。以後、4年連続で20本塁打以上を記録するなど近鉄の主力として活躍し、「北海の荒熊」の異名をとった。 1988年10月19日に川崎球場で行われたロッテオリオンズとのダブルヘッダーでは、第1試合の9回表二死二塁の場面で二塁走者として梨田昌孝の適時打でホームインし、決勝点となる得点を挙げた(第2試合に引き分け優勝は逃した)。
有沢 賢持(ありさわ けんじ、1950年7月27日 - )は… 有沢 賢持(ありさわ けんじ、1950年7月27日 - )は、北海道新冠郡新冠町出身の元プロ野球選手(投手)。 北日本学院大高では3年次の1968年、エース、4番打者として夏の甲子園に出場。1回戦では若狭高の乗替寿好と投げ合い1-0で完封勝利したが、2回戦で高知高に敗退。 高校卒業後は1969年に大昭和製紙北海道へ入社するが、チームにあまり馴染めず、1973年に日産サニー札幌に移籍。 結成当初はゴロもフライも捕れない弱小チームであったが、毎朝、午前6時前から練習し、8時に出社してセールスに歩き、午後1時から3時間半練習し、夕方に再出社すると夜9時まで働き、それからまたランニングした。車もよく売り歩き、1ヶ月に50台はセールスした。