スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
小野寺 賢人(おのでら けんと、1998年7月13日 - )… 小野寺 賢人(おのでら けんと、1998年7月13日 - )は、宮城県黒川郡大和町出身の日本のプロ野球選手(投手)。 小学2年生の時に八幡原スポーツ少年団で野球を始め、中学時代は宮城黒川リトルシニアに所属した。聖和学園高等学校では3年夏に背番号10でベンチ入りしたが、仙台育英学園高等学校に3回戦で敗れた。 聖和学園高等学校から星槎道都大学に進む。2年からベンチ入りし、3年春にはチームの抑えを務めた。大学時代には札幌学生野球連盟1部リーグで複数回の優勝を経験した。大学当時について小野寺自身は「星槎道都大2年の時は、リリーフで出て、四球・四球・ホームランみたいな状態でした。3年で先発して1回5失点KOという試合があって、そこからはもう何をやってもだめ。
只埜 榛奈(ただの はるな、1995年4月23日 - )は、… 只埜 榛奈(ただの はるな、1995年4月23日 - )は、宮城県大崎市出身の元女子プロ野球選手(内野手、投手)、指導者、監督。 ニックネームは「はるちゃん」。 兄の影響で、小学4年生から地元の少年野球団「松山シャークス」で野球を始める。チームでは、遊撃手と投手を任された。 その後は男女の体力差を懸念し野球を続けるか悩むが、当時の野球団の監督に背中を押され、松山中でも野球部に入部する。2年生の夏以降には主将を任され、2010年3月に行われた東北中学校選抜野球大会では宮城県選抜に選出された。女子選手が選出されたのは初めてのことであった。 中学卒業後は女子野球ができる環境ではなかったため、ソフトボールへの転向を決意し、聖和学園高等学校に進学。
伊藤 祐介(いとう ゆうすけ、1990年10月20日 - )… 伊藤 祐介(いとう ゆうすけ、1990年10月20日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学校3年時から投手として野球を始め、仙台市立西多賀中学校時代は七ヶ浜シニアに所属した。 聖和学園高等学校では、1年時の秋からベンチ入りする。2年時の秋からエースとなり、県大会3位で同校野球部創部4年目で東北大会初出場に貢献した。3年時の夏は、宮城県大会ベスト8で仙台二高と4-4で延長15回引き分け、再試合に末に0-3で敗れる。甲子園出場経験は無し。 東北学院大学に進学すると、仙台六大学野球連盟に加盟している野球部に入部する。1年時の春から公式戦に登板し、秋に新人賞、2年春に敢闘賞。