スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
仁部 智(にべ さとし、1980年1月10日 - )は、秋田… 仁部 智(にべ さとし、1980年1月10日 - )は、秋田県由利本荘市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学校より野球を始めるが中学時代までは控え投手兼外野手。当時同市郡内に全県優勝したチームがあり小学校時代には全県大会出場が阻まれたり、チームとしても個人としても殆ど無名の存在。秋田県立本荘高等学校で1年次には外野手でベンチ入りし、2年時よりエース投手として定着。後にプロ入りした石川雅規や藤田太陽、高卒時にニューヨーク・メッツと契約した後松重栄(大曲工業高等学校)とともに県内では注目される存在になった。関西遠征で大阪桐蔭と練習試合をした際に、好きな選手を3人やるから転校させるようにスカウトされた(当時の同校のエースは左腕の谷口悦司)。
佐々木 弥(ささき わたる、1972年4月29日 - )は、… 佐々木 弥(ささき わたる、1972年4月29日 - )は、秋田県由利郡大内町出身の社会人野球の元選手(内野手)。右投右打。 大内町立下川大内小学校(のち由利本荘市立)から大内中学校を経て、本荘高では甲子園の出場経験なし。 卒業後地元のTDKに入社。当時の社会人野球は金属バットを使用していたことから、高卒の佐々木にとって違和感なく打撃に取り組むことができ、比較的若いうちから試合に多く出場していた。 1990年代後半からはチームの主砲として4番に座り、自チームだけでなく他チームの補強選手としても都市対抗野球大会に出場している。 2006年シーズンから、経験を買われ、コーチ兼任内野手として登録されるようになった。
竹内 昌也(たけうち よしや、1971年5月25日 - )は… 竹内 昌也(たけうち よしや、1971年5月25日 - )は、秋田県由利郡象潟町(現:にかほ市)出身の元プロ野球選手(投手)。 小学3年の時に野球を始める。 秋田県立本荘高等学校の2年時にエースとして夏の甲子園に出場。3年夏は県大会準決勝で敗退した。NTT東北では1992年の都市対抗野球予選で7回参考記録ながらノーヒットノーランを達成、本大会では補強選手として出場すると同年ドラフト2位で阪神タイガースに入団。 1995年にはチームが低迷する中でチーム唯一の10勝をあげる。9月7日のナゴヤ球場の中日戦で平田洋から通算で唯一の本塁打を打った。 1997年は途中まで規定イニング不足ながら、開幕から防御率3点前後に抑えておりいわゆる「隠れ」防御率1位だった[いつ?]が、結局防御率5位に終わった。
工藤 幹夫(くどう みきお、1960年9月30日 - 201… 工藤 幹夫(くどう みきお、1960年9月30日 - 2016年5月13日)は、秋田県本荘市(現:由利本荘市)出身のプロ野球選手(投手、内野手)。 本荘市立小友小学校卒。本荘市立本荘南中学校時代には軟式野球で東北大会で優勝。当時のチームメイトには村岡敏英がいる。 秋田県立本荘高等学校では、エースとして1977年秋季東北大会に進むが、1回戦で黒沢尻工業高に敗退。翌1978年夏の甲子園県予選で決勝に進出し能代高と対戦するが、2-3で惜敗し甲子園出場を逸する。甲子園出場経験はなかったものの逸材として注目され、読売ジャイアンツ(巨人)も獲得意欲を示していた。 1978年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから2位指名を受け入団。
佐藤 守(さとう まもる、1952年 -)は、日本の元アマチ… 佐藤 守(さとう まもる、1952年 -)は、日本の元アマチュア野球選手である。ポジションは投手。 本荘高校では1969年秋季東北大会県予選準々決勝に進むが、大館工に惜敗。翌1970年夏の甲子園県予選も準々決勝で大曲農に敗れた。同年のドラフト会議で本格派右腕投手として注目され、大洋ホエールズから2位指名されたが入団を拒否。 早稲田大学に進学。東京六大学野球リーグでは、1971年秋季リーグで早慶戦に登板。1972年秋季リーグでは5勝3敗、防御率1.55の好記録を残した。しかし直後に故障、活躍の場を失う。1973年春季、1974年春季リーグで優勝を経験するが、故障が長引き登板機会はほとんどなかった。