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中野 拓夢(なかの たくむ、1996年6月28日 - )は、… 中野 拓夢(なかの たくむ、1996年6月28日 - )は、山形県天童市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。阪神タイガース所属。 盗塁王の歴代最高盗塁成功率タイ記録保持者。 小学4年生から軟式野球を始める。中学時代は「山形シニア」に所属。主に遊撃手を務めた。 日大山形高校入学後、1年時は控え遊撃手としてプレーするも、2年夏からは1学年上の正遊撃手・奥村展征との兼ね合いで「2番・二塁手」に定着。第95回全国高等学校野球選手権大会に出場し、山形県勢初の夏ベスト4入りに貢献。準決勝の前橋育英高校戦では髙橋光成から安打を記録したが、チームは敗れた。3年からは「3番・遊撃手」を務め、夏は県大会準決勝で酒田南高校に敗れた。
奥村 展征(おくむら のぶゆき、1995年5月26日 - )… 奥村 展征(おくむら のぶゆき、1995年5月26日 - )は、滋賀県湖南市出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)。コーチ。 小学校1年生の時に「三雲東スポーツ少年団」で野球を始め、甲西中学校時代には「リトルシニア草津パンサーズ」に所属していた。中学校の同級生に西村凌がいる。 中学卒業を機に地元の滋賀県を離れ、日本大学山形高校へ進学。1年生の春から正二塁手に起用された。主将を務めた3年夏には、1学年後輩の中野拓夢と二遊間を組み、第95回全国選手権大会に出場すると準決勝にまで進出。自身は全4試合で4番・遊撃手で先発出場、11打数3安打3打点・打率.273という通算成績を残したほか、日大三高との2回戦では本塁打を打っている。
栗原 健太(くりはら けんた、1982年1月8日 - )は、… 栗原 健太(くりはら けんた、1982年1月8日 - )は、山形県天童市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 天童市内で焼肉店を営む家庭に生まれ、小学3年生から野球を始めエースで4番を務める。中学時代のポジションは投手だった。陸上でも3種競技(走り高跳び、100m走、砲丸投げ)で市大会を制覇している。当時の日大山形高校の渋谷良弥監督は栗原の身体能力の高さを見て大型投手としての構想を描きスカウティングした。しかし、日大山形高校入学後に打撃をやらせてみるとバットコントロール、スイングスピード共に図抜けており、フェンスオーバーを連発。内野手に転向となった。1年夏にチームの5番打者となり、秋には早くも4番打者を任せられた。
石山智也(いしやま ともや、1979年11月2日 - )は、… 石山智也(いしやま ともや、1979年11月2日 - )は、日本野球機構所属のプロ野球審判員。山形県出身。審判員袖番号『25』。 日本大学山形高等学校を卒業後、地元で就職し2003年まで勤務。リトルシニアで2年間の審判経験があった。2004年にセントラル・リーグ審判部に入局。 2008年シーズンではイースタン・リーグの優秀審判員として表彰された。 2011年から球審での構えをボックススタンスからシザーススタンスに変更した。 2012年にオールスターゲームに初出場し第3戦で球審を務めた。 2016年5月17日、地元・山形県の荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがたで行われた読売ジャイアンツ対横浜DeNAベイスターズ戦では球審を務めた。
荒木 準也(あらき じゅんや、1971年 - )は、山形県寒… 荒木 準也(あらき じゅんや、1971年 - )は、山形県寒河江市出身の元アマチュア野球選手(外野手)、野球指導者。 日大山形高校では高校2年生の時に1988年の夏の甲子園に出場した経験がある。高校卒業後に東北福祉大学に進学して硬式野球部に所属し、1993年の全日本大学野球選手権大会では同じ4年の関根裕之、三野勝大投手を擁してチームはベスト4まで進んだ。 大学卒業後は、社会人野球のプリンスホテルに入団し、東京スポニチ大会で新人賞。1995年の「'95ワールド・ベースボール・ウィーク・イン・ジャパン」の全日本メンバーにも選ばれた。1年先輩の宮本慎也や小林幹英、星野智樹らとプレー。 2000年にチームが解散したのを機に、故郷に戻り、家業の鋼材リサイクル会社で勤務していたが、2002年からは母校の日大山形高校の監督を務めており、2013年の夏の甲子園ではチームを県勢初のベスト4に導いた。
広野 准一(ひろの じゅんいち、1969年3月26日 - )… 広野 准一(ひろの じゅんいち、1969年3月26日 - )は、山形県山形市出身の元プロ野球選手(投手)。 日大山形高の3年時に、エースの故障で内野手から投手に転向した。3年春の東北大会で完封勝利。 1986年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから6位指名を受け入団。 一軍登板のないまま、1991年限りで現役を引退。引退後は会社員となった。
小山田 健一(おやまだ けんいち、1950年9月13日 - … 小山田 健一(おやまだ けんいち、1950年9月13日 - 2001年3月20日)は、山形県山形市出身のプロ野球選手(捕手)。 プロ野球選手の小山田貴雄は実子。 日大山形高では、捕手、四番打者として左腕エース柳橋明(日本石油)とバッテリーを組み、1968年夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で岩国商に0-1で敗れるが、強打が注目され東映フライヤーズにドラフト6位で指名を受け入団。 種茂雅之、加藤俊夫ら捕手陣の揃った東映では一軍に定着しきれなかったが、1974年9月には打力を活かし一塁手として2試合に先発出場を果たす。1976年にヤクルトスワローズに移籍。ここでも大矢明彦という不動の正捕手がいたため出場機会に恵まれなかった。