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杉本 昌都(すぎもと まさと、1989年4月28日 - )は… 杉本 昌都(すぎもと まさと、1989年4月28日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 兵庫県姫路市出身。中学校時代は、兵庫播磨リトルシニアで全国大会で準優勝している。 水戸短大附高では、強肩強打の大型捕手として活躍するも、2007年夏の茨城県大会では2回戦敗退。同年のドラフト会議にて横浜ベイスターズから育成2巡目指名を受け、支度金200万円、年俸240万円で契約を結んだ。横浜では関口雄大とともに初の育成選手である。 恵まれた体格から右方向にも打てる長打力と遠投115メートルの強肩による正確なスローイングが自慢。高校通算本塁打26本。 水戸短大附高からのプロ野球選手輩出は春田剛、会澤翼に次いで3年連続となった。
會澤 翼(あいざわ つばさ、1988年4月13日 - )は、… 會澤 翼(あいざわ つばさ、1988年4月13日 - )は、茨城県日立市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 旧字体の使用に制限がある一部報道などで、苗字を新字体の「会沢」と表記する場合もある。 小学校3年生の時に助川野球スポーツ少年団で野球を始め、4年生の時から捕手一筋。捕手を始めたきっかけは「誰もやろうとしなかったから」。本格的に捕手としての楽しさや奥深さを覚えたのは高校の頃だという。日立市立中里中学校では野球部員15人という少人数で活動していた。高校進学後、1年夏からベンチ入りし、秋には早くも正捕手となる。打線では先輩の春田剛と中軸を担った。高校3年春には早実・斎藤佑樹と練習試合で対戦し、二塁打を含む2安打を放ったこともあった。
春田 剛(はるた つよし、1987年5月31日 - )は、茨… 春田 剛(はるた つよし、1987年5月31日 - )は、茨城県水戸市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)、高校野球指導者。 小学3年で野球を始める。 水戸短期大学附属高等学校(現・水戸啓明高等学校)に進学。甲子園には縁がなかったものの、地元では飛びぬけた存在だった。高校入学後の1年春から4番を任され、通算本塁打は44本。プロ8球団が注目した。また、140km近い速球を投げ、左腕クローザーとして投手も兼任した。 その後、2005年の高校生ドラフトで中日ドラゴンズから3巡目で指名され、入団。 2006年は高卒新人ながら二軍で打率.241、チーム最多の7本塁打と活躍した。 落合監督曰く「ライトには孝介が居るから」との理由で2007年から一塁手へコンバートされ、内野手登録となった。
鴨志田 貴司(かもしだ たかし、1983年12月29日 - … 鴨志田 貴司(かもしだ たかし、1983年12月29日 - )は、茨城県久慈郡大子町出身の元プロ野球選手(投手)、元コーチ。右投右打。 大子リトルで野球を始め、勝田シニアでエース。水戸短大附高校時代は最速152km/hの速球で鳴らし、3年春は県大会優勝。同じく速球派投手であり、後にオリックスでチームメイトとなる日南学園高の寺原隼人とともに「東の鴨志田、西の寺原」と言われた。 2001年度ドラフト会議にて読売ジャイアンツから3巡目指名を受け、入団。 2002年にその年の独走優勝もあり消化試合で一軍テスト登板。新人ながら10月10日の対ヤクルトスワローズ戦で初セーブを挙げる。 2003年はリリーフ崩壊をうけ原辰徳監督に戦力として期待されるが、7月18日の対横浜ベイスターズ戦で小田嶋正邦にサヨナラ満塁本塁打を浴びるなど、満足な成績を挙げられず二軍へ降格。