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山中 尭之(やまなか たかゆき、1999年3月10日 - )… 山中 尭之(やまなか たかゆき、1999年3月10日 - )は、茨城県結城市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 つくば秀英高校時代は全国大会出場は無かった。また同学年に長井良太、一学年上に野澤佑斗が在籍していた。 東京新大学野球連盟1部の共栄大学時代は2年秋に打率.364でベストナインに選出された。 2020年12月6日に行われたベースボール・チャレンジ・リーグのトライアウトに合格し、茨城アストロプラネッツへ入団。 2021年はリーグ3位となる11本塁打を打ち、読売ジャイアンツ三軍との練習試合では、同年一軍登板もある沼田翔平からレフトオーバーの二塁打を放った。
長井 良太(ながい りょうた、1999年1月15日 - )は… 長井 良太(ながい りょうた、1999年1月15日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 長田中学校では軟式野球部で捕手としてプレーし、チームとは別に元プロ野球選手が指導する野球塾にも通い硬式球に触れた。中学3年の秋に野球塾へ視察に訪れた茨城・つくば秀英高監督の森田健文に投手としての適性を見出され、兵庫から茨城へ野球留学した。 つくば秀英高入学後に投手に転向し、1年秋からベンチ入り、2年秋からエース。3年夏の茨城県大会では初戦の古河二高相手に最速146kmをマーク、4回1安打無失点で5奪三振。しかし2回戦では常磐大高相手に13奪三振を記録したものの2-2で延長突入直後に味方の失策で決勝点を奪われ10回4失点で敗退。
野澤 佑斗(のざわ ゆうと、1997年11月6日 - )は、… 野澤 佑斗(のざわ ゆうと、1997年11月6日 - )は、茨城県古河市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。プロでは育成選手であった。 古河第六小学校の1年生から古河プレーボールで捕手として野球を始め、古河第一中学校では投手に転向する。 つくば秀英高等学校に進学。1年生から背番号11番で起用され、3年生の夏の茨城県大会では、5回無安打7奪三振を記録し注目される。 2015年10月22日に行われたプロ野球ドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスから育成選手ドラフト1巡目で指名され、支度金300万円、年俸270万円(いずれも推定)で入団した。 2016年は、二軍公式戦での登板はなく、三軍戦では16試合に登板し、15回1/3を投げ、1勝1敗、防御率4.70でシーズンを終えた。
中塚 駿太(なかつか しゅんた、1994年12月26日 - … 中塚 駿太(なかつか しゅんた、1994年12月26日 - )は、茨城県つくば市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。右投右打。 小学校4年生から野球を始め、中学校までは捕手に就いていた。 つくば秀英高等学校で投手に転向したが、甲子園出場はなかった。 白鷗大学に進学し、3年秋から実戦に登板し始め、4年秋の新潟医療福祉大学戦で投手人生初の完投を完封で飾った。 2016年9月7日にプロ志望届を提出し、同年10月20日に行われたドラフトにて埼玉西武ライオンズから2位指名を受け、契約金7,000万円・年俸1,200万円(金額は推定)で契約した。背番号は22。なお同ドラフトにて阪神タイガースから1位指名された大山悠輔は、高校・大学を通じてのチームメイトである。
大山 悠輔(おおやま ゆうすけ、1994年12月19日 - … 大山 悠輔(おおやま ゆうすけ、1994年12月19日 - )は、茨城県下妻市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。阪神タイガース所属。 下妻市立宗道小学校1年時に軟式野球チーム「宗道ニューモンキーズ」に入団、投手兼内野手として野球を始め、下妻市立千代川中学校では軟式野球部に所属。高校進学に際しては県内の強豪校からの誘いがあったが、憧れの存在であった2学年上の塚原頌平がいたことや、野球部監督の沢辺卓己の誘いもあり、つくば秀英高等学校へ進学。進学後は、1年時から投手兼遊撃手を務め、通算27本塁打を打った。2学年上に塚原、同学年に中塚駿太がいたが、在学中には春夏とも甲子園球場での全国大会に出場できなかった。
塚原 頌平(つかはら しょうへい、1992年7月8日 - )… 塚原 頌平(つかはら しょうへい、1992年7月8日 - )は、茨城県結城市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 絹川小学校時代から野球を始めるが、野球より空手に打ち込み、関東大会で優勝経験を持つ。結城南中学校時代からは軟式野球部に所属。 つくば秀英高等学校2年生時の秋以降、公式戦全6試合で58回2/3を投げて投球回を上回る60三振を奪い、一部では「茨城のドクターK」とも評された。3年生時の夏の甲子園・茨城大会では初戦に先発登板し、2回2/3を投げ6失点でチームも敗れた。高校生時に直球の最速は146km/hを記録。 2010年のNPBドラフト会議で、オリックス・バファローズに4巡目で指名。契約金4,000万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した。
江柄子 裕樹(えがらし ゆうき、1986年11月14日 - … 江柄子 裕樹(えがらし ゆうき、1986年11月14日 - )は、東京都渋谷区出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。 渋谷区立原宿外苑中学校では、城南ドリームボーイズに所属。 その後、茨城県のつくば秀英高等学校に進学。当時の監督は阿井英二郎であった。1年時からエースとなり、2年時の春には県大会ベスト8に進出。しかし、3年時の夏は茨城県予選2回戦で水戸工業高校に敗退、甲子園出場は果たせなかった。2年下に山田大樹がいる。 高校卒業後は、明治大学に進学。硬式野球部では下級生時代は、層の厚い投手陣の中で目立った存在ではなかった。4年時の春になって、初めてリーグ戦で登板を果たす。開幕カードの東京大学2回戦に先発すると、5回を3安打2失点で降板し勝ち星は付かなかった。