スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
吉野 修一郎(よしの しゅういちろう、1991年9月28日 … 吉野 修一郎(よしの しゅういちろう、1991年9月28日 - )は、日本の元プロボクサー。栃木県鹿沼市出身。三迫ボクシングジムに所属していた。第62代日本ライト級王者。第47代OPBF東洋太平洋ライト級王者。元WBOアジア太平洋ライト級王者。 入場曲はウルフルズの『ガッツだぜ!!』。 母はフィリピン人。父と叔父の影響でボクシングを始める。 作新学院高校時代は、インターハイ、国体、選抜(2度)で優勝し高校4冠を果たした。東京農業大学時代は、国体と国際大会で2度準優勝し、ボクシング部の後輩に中澤奨がいる。 大学卒業後はサラリーマンになるが、1年のブランクを経てプロ入りを決断した。 2015年12月14日、後楽園ホールでペッジャー・シットパーセーンとウェルター級4回戦を行い、3回2分40秒TKO勝ちを収めデビュー戦を白星で飾った。
田村 亮一(たむら りょういち、1987年6月4日 - )は… 田村 亮一(たむら りょういち、1987年6月4日 - )は、日本の元プロボクサー。新潟県新潟市出身。第42代日本スーパーバンタム級王者。JB SPORTSボクシングジム所属。かつては古口ボクシングジムに所属していた。 小学5年生でボクシングを始めた。 作新学院高校卒業後、日本大学に入学。 2013年5月21日に後楽園ホールで宮坂航とバンタム級5回戦を戦い、5回0-3(46-48、47-48、45-49)判定負けでデビュー戦を白星で、飾ることが出来なかったが、半年後の試合では判定勝ちでプロ初勝利を挙げた。 そして2015年7月17日に後楽園ホールで日本スーパーフライ級7位の鈴木悠介と54.5キロ契約8回戦を戦い、8回2-1(77-76×2、76-77)判定勝ちを収めた。
小口 雅之(こぐち まさゆき、男性、1977年8月27日 -… 小口 雅之(こぐち まさゆき、男性、1977年8月27日 - )は、日本のプロボクサー。栃木県上三川町出身。草加有沢ボクシングジム所属。 作新学院高校1年時にボクシングを始める。2000年10月11日、横浜アリーナでWBA世界ライト級タイトルマッチ(畑山隆則 vs 坂本博之)のアンダーとして行われたプロデビュー戦に初回KO勝利を収めた。2002年には新人王トーナメントにエントリーし、スーパーフェザー級で3勝を収めたが、9月27日に行われた東日本準決勝で熊野和義(宮田)に4R判定で敗れた。 2005年12月13日、ジムの先輩コウジ有沢の引退興行のセミファイナルで密かに引退を決意して、柴田大地(ファイティング原田)と対戦。
川上 雅史(かわかみ まさし、1972年2月23日 - )は… 川上 雅史(かわかみ まさし、1972年2月23日 - )は、日本の元アマチュアボクシング選手。栃木県出身。1992年バルセロナオリンピックウェルター級日本代表。身長178cm。作新学院高等学校、中央大学卒業。 高校時代はボクシング部で川島八郎監督の指導を受け、1989年にはインターハイライトミドル級で優勝を収めた。1991年と1992年には石川国体・べにばな国体成年の部ライトミドル級に2年連続で優勝を収めた。 1992年、バルセロナオリンピックにウェルター級の日本代表として出場し、7月26日に行われた1回戦でエイドリアン・ドッドソン(イギリス)と対戦し、2回RSC負けとなった。1993年、全日本選手権ライトミドル級で優勝を収めた。
古口 哲(こぐち さとし、男性、1957年11月28日 - … 古口 哲(こぐち さとし、男性、1957年11月28日 - 2021年11月(または10月末)は、日本の元プロボクサー、トレーナーである。古口・協栄ボクシングジム会長。栃木県今市市出身。 作新学院高等学校時代には3年次の1975年と4年次の1976年に全日本高校フライ級王者となり、日本大学進学後までにアマチュア61連勝を記録。2013年に李健太に更新されるまで日本記録であった。1978年世界ボクシング選手権大会にもバンタム級日本代表選手として出場。 モスクワオリンピック出場も期待されながら1979年にプロ転向を宣言。ジムの間では争奪戦となったが、一時国際ジムと契約も、高校時代に笹崎ジムと契約し