スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
荒井 修光(あらい のぶあき、1973年〈昭和48年〉8月1… 荒井 修光(あらい のぶあき、1973年〈昭和48年〉8月11日 - )は、千葉県我孫子市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。現役引退後は北海道日本ハムファイターズの球団職員となっている。 我孫子シニア、我孫子高校、早稲田大学を経て、1995年ドラフト2位で日本ハムファイターズに入団。 高校3年時に、ピッチャーとして甲子園に出場。2勝をあげる。なおこの時の監督は、実父の荒井致徳であり話題となる。早稲田大学では1年で2勝するが、2年のときに捕手へ転向。東京六大学リーグ通算87試合出場、307打数74安打、打率.241、2本塁打、33打点。ベストナイン1回。織田淳哉、三澤興一とバッテリーを組む。
川口 亘太(かわぐち こうた、1971年5月28日 - )は… 川口 亘太(かわぐち こうた、1971年5月28日 - )は、プロ野球審判員。審判員袖番号は39。 我孫子高等学校、中央学院大学を経て1994年にパシフィック・リーグ審判部に入局。審判員袖番号は39。 2008年5月24日北海道日本ハムファイターズ対中日ドラゴンズ第2回戦(札幌ドーム)にて二塁塁審を務め、通算1000試合出場を達成した。 2025年終了時点での試合出場数は2734試合。オールスターゲーム出場4回(2001年、2004年、2011年、2019年。内2001年の第2戦と2011年の第2戦で球審)、日本シリーズ出場8回(2006年、2010年、2011年、2014年、2016年、2018年、2022年、2023年。
和田 豊(わだ ゆたか、1962年9月2日 - )は、千葉県… 和田 豊(わだ ゆたか、1962年9月2日 - )は、千葉県松戸市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、プロ野球コーチ。 阪神タイガース監督退任後は、阪神球団オーナー付シニアアドバイザーを経て、2017年11月1日から球団本部付テクニカルアドバイザー(TA)、一軍・二軍打撃巡回コーディネーターを務め、2026年より一軍ヘッドコーチに就任する。 1985年に阪神へ入団してから、阪神一筋フランチャイズ・プレイヤーとして他球団へ移籍することなく2001年まで現役生活を送った。 現役引退後は、一軍・二軍でのコーチを経て、2012年から2015年まで一軍の監督を歴任。阪神において、選手・コーチ・監督時代を通じて、31シーズン連続で現場で従事した人物は、和田が初めてである。
板沢 峰生(いたざわ みねお、1961年7月4日 - 198… 板沢 峰生(いたざわ みねお、1961年7月4日 - 1980年12月3日)は、千葉県東葛飾郡流山町(現在の流山市)出身のプロ野球選手(内野手)。 我孫子高では、2年次の1978年に当時1年生であった和田豊と三遊間を組んで夏の甲子園に出場した。 1979年オフ、チームメイトの仲野和男(外野手)と共にドラフト外で西武ライオンズに入団した。 1年目の1980年、二軍でイースタン・リーグ公式戦39試合に出場、打率.238、2本塁打、9打点の成績を残し、守備でも堅実なフィールディングを見せ注目されていた。しかし千葉県の自宅に帰省していた同年オフの12月2日、突然気分が悪くなって我孫子市の病院に入院し、急性心不全のため翌3日に死去した(19歳没)。
仲野 和男(なかの かずお、1961年4月26日 - 201… 仲野 和男(なかの かずお、1961年4月26日 - 2018年8月19日)は、千葉県出身のプロ野球選手(外野手)。 日本野球機構パシフィックリーグ統括兼パシフィックリーグ運営部長。公益財団法人日本プロスポーツ協会評議員。 我孫子高では、2年次の1978年に夏の甲子園に出場。1学年後輩に和田豊がいる。 1979年オフ、チームメイトの板沢峰生内野手と共にドラフト外で西武ライオンズに入団。 一軍公式戦出場のないまま、1982年に現役を引退した。 1988年1月にパ・リーグ事務局に入局し、2012年1月からパ・リーグ統括を務めていた。 2018年8月19日に拡張型心筋症及び心臓弁膜症のため死去。57歳没。
石原 修治(いしはら しゅうじ、1958年5月25日 - )… 石原 修治(いしはら しゅうじ、1958年5月25日 - )は、千葉県流山市出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)。流山市議会議員。 流山市立八木北小学校、流山市立常盤松中学校、千葉県立我孫子高等学校をそれぞれ卒業。 1976年ドラフト2位で近鉄入団。6年目の1982年に初めて一軍に昇格、6月には中堅手、右翼手として5試合に先発出場、初本塁打も放った。入団時は内野手であったが俊足を評価されて、1983年に外野手転向。しかし伸び悩み、1987年限りで現役引退。 2015年4月、流山市議会議員一般選挙で初当選。2019年4月、2度目の当選。