スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
桜井 ひかり(さくらい ひかり、1993年7月17日 - )… 桜井 ひかり(さくらい ひかり、1993年7月17日 - )は、日本の女優、モデル、シンガーソングライター、デザイナー、CMクリエーター。東京都港区出身。 RÊVEUR(レヴェール 個人事務所)所属、フランス系ラグジュアリーブランド、EMPIRE ENTERTAINMENT フリーランス。 所属事務所はジョビィ・キッズ、スウィートパワー、フライングボックス。スウィートパワー所属時の芸名は菊里 ひかり(きくざと ひかり)。身長156cm。血液型はB型。 2002年10月、「新世紀キッズアイドルを探せ!」オーディションでグランプリを受賞。同年、映画『水の記憶』でデビュー。 2009年、ミスマガジン「ミス週刊少年マガジン」に選ばれる。
大谷 香奈子(おおたに かなこ、本名:後藤 香奈子(ごとう … 大谷 香奈子(おおたに かなこ、本名:後藤 香奈子(ごとう かなこ)、1966年8月24日 - )は、日本の元歌手、実業家。血液型はO型。 東京都大田区大森に生まれる。3歳の時に父の転勤のために大阪府池田市へ、小学4年生の3学期の時に千葉市へ移る。中学生時代は陸上部で活動、千葉市の大会で200m走で8位入賞したことがある。なお、父はマラソンでオリンピック日本代表候補になったことがあったという。麹町学園女子高等学校卒業。 1984年8月1日、アイドルデュオ「キララとウララ」の「キララ」として、天野なぎさ(ウララ)とともにデビュー。5枚のシングル、1枚のアルバムをリリースした後、解散後の1988年に小室哲哉と結婚。
戸川 純(とがわ じゅん、1961年〈昭和36年〉3月31日… 戸川 純(とがわ じゅん、1961年〈昭和36年〉3月31日 - )は、日本の女優、歌手、作詞家。東京都新宿区出身。戸川京子は妹。 ゲルニカ、ヤプーズでの音楽活動の他、ソロヴォーカリストとしても活動している。当時、ポップスで取り上げられていなかった「タブー視」された事柄を歌詞に盛り込み、女性像の表現に禁忌がないことを世の中に提示した。 東京都西大久保(当時の名称)出身。台湾バナナなどの果物を扱う貿易会社を経営する父と専業主婦の母と、3歳年下の妹・戸川京子の4人家族。1967年に新宿区立戸山小学校に入学し、小学3年生の頃に『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』を観て芸能界を志望。同時期に京子が「児童劇団に入りたい」と言い出したことから、姉妹で劇団ひまわりに入団した。
小林 幸子(こばやし さちこ、1953年〈昭和28年〉12月… 小林 幸子(こばやし さちこ、1953年〈昭和28年〉12月5日 - )は、日本の歌手、YouTuber。本名は林 幸子(旧姓・小林)。幸子プロモーション所属。代表曲に「おもいで酒」「雪椿」などがある。豪華な衣装は平成期紅白歌合戦の名物となった。 新潟県新潟市(現在の新潟市中央区)出身。1963年、9歳の時にTBSテレビ『歌まね読本』にてグランドチャンピオンとなり、作曲家の古賀政男にスカウトされる。 翌1964年には新潟市内で肉屋を営んでいた家族とともに上京して古賀事務所に所属。古賀作曲の『ウソツキ鴎』でデビューした。同曲は20万枚のヒットとなる。 1966年から1968年まで日本テレビ『九ちゃん!』に「チビッコトリオ」としてレギュラー出演。
岡崎 友紀(おかざき ゆき、本名:非公表、1953年〈昭和2… 岡崎 友紀(おかざき ゆき、本名:非公表、1953年〈昭和28年〉7月31日 - )は、日本の女優、歌手。身長159cm(1972年3月)。 東京都千代田区出身。千代田区立富士見小学校出身。母子家庭で、母親はNHKの満州放送局に勤務していたことがあり、当時NHKアナウンサーだった森繁久彌とは同僚で家族ぐるみの付き合いだった。 4歳の時からモダンバレエ、6歳からクラシックバレエを習い始め、小学生の時に母親の勧めで、月謝が安かったという東宝芸能学校の児童科に入学。 1961年、8歳の時に宮城まり子主演の『そばかすまり子の恋物語』(新宿コマスタジアム)で初舞台を踏む。それ以降子役として舞台やテレビに出演し始め、舞台では、『王様と私』(1965年)『屋根の上のバイオリン弾き』(1967年)などのブロードウェイミュージカルの日本初演に起用される。
久慈 あさみ(くじ あさみ、1922年〈大正11年〉5月2日… 久慈 あさみ(くじ あさみ、1922年〈大正11年〉5月2日 - 1996年〈平成8年〉7月11日)は、日本の女優、歌手。元宝塚歌劇団月組男役トップスター。東京市京橋区(現・中央区)新富町出身。本名は森山 淑子。 生家は、明治時代に歌舞伎役者の写真を多数撮影した森山写真館。1939年、麹町高等女学校卒業後、宝塚音楽舞踏学校に進む。宝塚歌劇団29期生。1941年、宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は17人中9位。淡島千景、南悠子と共に『東京の三羽烏』と呼ばれた。相手役だった淡島千景が松竹入社したことなどに刺激を受け、1950年、宝塚を退団。新東宝と出演契約を結び『愛染香』で映画デビューする。 1951年、ビクターレコードと専属契約を結び、主演した新東宝映画『恋人』『ブンガワンソロ』『女豹の地図』等の主題歌を歌う。