スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
川瀬 時枝 (かわせ ときえ、1968年(昭和43年)9月2… 川瀬 時枝 (かわせ ときえ、1968年(昭和43年)9月25日 - )は、日本の体操選手である。現姓は渡邉。 國學院高等学校出身。1984年ロサンゼルスオリンピックに出場した。ほか、世界選手権、ユニバシアード大会などに出場。 筑波大学体育専門学群卒業後、TBSテレビへ入社し、プロ野球や長野オリンピックなどスポーツ中継を担当する。1999年(平成11年)結婚を機に香川県へ移り、香川県教育委員会委員としてトップアスリート育成事業などに参画した。
加納 弥生(かのう やよい、1963年 - 2019年5月2… 加納 弥生(かのう やよい、1963年 - 2019年5月28日)は、日本の元体操選手。國學院大學人間開発学部准教授。國學院高等学校、日本体育大学卒業。1970年代末期から1980年代初期に日本女子体操界で頂点に君臨した。元体操コーチ。現姓名は笹田弥生。 東京都出身。國學院高等学校を経て、日本体育大学卒業。1979年から1982年まで、NHK杯で4連覇。1980年モスクワオリンピック代表選手(日本は参加ボイコット)。元日体大体操コーチ、解説者。実娘は女子体操選手の笹田夏実(OSTC大泉スワロー体育クラブ所属。帝京高等学校→日本体育大学)。 2019年5月28日午前5時55分、肝不全のため東京都の病院で死去。
岡崎 聡子(おかざき さとこ、1961年1月13日 - )は… 岡崎 聡子(おかざき さとこ、1961年1月13日 - )は、東京都出身の日本の元体操選手、タレント。 國學院高等学校在学中の1975年、全日本体操競技選手権大会の種目別跳馬競技で優勝を飾り、翌1976年には同大会で総合優勝、NHK杯体操選手権でも優勝した。オリンピック代表に選ばれモントリオールオリンピックの体操競技に15歳で出場を果たした。 モントリオールオリンピックでは団体8位、個人総合30位の成績であった。同世代のナディア・コマネチにあやかり、「和製コマネチ」の愛称で親しまれた。 高校卒業後の1979年、日本体育大学女子短期大学部に進学したが同年、ケガで体操界を引退。すぐに中退してタレントに転向し、エアロビクスの普及に貢献した。
塚原 光男(つかはら みつお、1947年12月22日 - )… 塚原 光男(つかはら みつお、1947年12月22日 - )は、日本の元体操選手。 オリンピック3大会で金メダルを獲得した。鉄棒では「月面宙返り(ムーンサルト)」を編み出した。現在は、さまざまな体操競技団体において後進を指導する立場に就いている。現在も東京都在住。 東京都北区出身。1966年に國學院高等学校を、1970年に日本体育大学体育学部卒業。 大学在学中の1968年にメキシコオリンピックに出場した。 1970年、大学卒業後に河合楽器に入社。社会人となってからもミュンヘンオリンピック(1972年)とモントリオールオリンピック(1976年)に出場、男子種目別の鉄棒で2大会連続で金メダルを獲得。
鶴見 修治(つるみ しゅうじ、1938年1月29日 - )は… 鶴見 修治(つるみ しゅうじ、1938年1月29日 - )は、日本の元体操競技選手。1960年ローマオリンピック、1964年東京オリンピック体操男子団体金メダリスト。日本体操協会女子競技本部長理事、日本ドッジボール協会、日本オリンピアンズ協会の理事などを歴任。 1960年のローマオリンピックでは鶴見ら6人はソビエト連邦を下して、男子団体で金メダルを獲得した。日本勢は男子個人総合で9位以内に全6選手が入る活躍を見せて、鶴見は個人総合で4位、あん馬で銅メダルを獲得した。続く地元日本で開かれた東京オリンピックでも団体総合金メダルに貢献、男子個人総合でも銀メダルを獲得、平行棒とあん馬でも銀メダルを獲得した。
穴見 利香(あなみ りか)は、日本の元女子体操選手/元スポー… 穴見 利香(あなみ りか)は、日本の元女子体操選手/元スポーツインストラクター。東京都出身。 加納弥生、内田桂らと共に國學院高等学校体操部を支えた選手のひとりで、1980年モスクワオリンピック代表(日本不参加)。日本体操協会ナショナル強化指定選手番号:88番。 オリンピック第2次選考会及び最終選考会共に個人総合第5位となり、モスクワオリンピック代表に選出された。