スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
松田 進(まつだ しん、1994年8月29日 - )は、神奈… 松田 進(まつだ しん、1994年8月29日 - )は、神奈川県川崎市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。妻は女優の川崎美海。 アメリカのニュージャージー州で生まれ、2歳の時に帰国。また小学校3年から5年の間はシンガポールで暮らしていた。 国学院久我山高では2年春の時に第83回選抜高等学校野球大会に3番遊撃手として出場している(結果は5打数1安打)。 大学は東都大学野球連盟に所属する中央大学に進学し、1年春からレギュラーを獲得したが、1年秋には10打数0安打、2年春には4打数1安打と絶不調に陥った。3年春のリーグ戦で打率.349、3本塁打を放ち復調し、大学4年間でベストナインを2度獲得、通算77試合262打数71安打26打点、5本塁打7盗塁、打率.271。
尾崎 直輝(おざき なおき、1990年5月8日 - )は、東… 尾崎 直輝(おざき なおき、1990年5月8日 - )は、東京都日野市出身の高校野球指導者。 國學院大學久我山高等学校保健体育科教諭、國學院大學附属幼稚園教員。 國學院久我山高校時代は外野手としてプレーするも肩と腰の怪我から2年途中からは主務兼学生コーチとしてチームを支える。 高校卒業後は系列校の國學院大學に進学するが硬式野球部には入部せずに母校の國學院久我山高校の野球部にて指導に当たる。 大学卒業後は母校の國學院久我山高校に教員として赴任。2013年秋からは当時23歳ながら硬式野球部のコーチから監督に昇格し、「若い監督を指導者として育ててほしい」と学校側から要請を受けた國學院大學総監督・竹田利秋より指導法を学んだ。
河内 貴哉(かわうち たかや、1982年1月6日 - )は、… 河内 貴哉(かわうち たかや、1982年1月6日 - )は、京都府八幡市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。現在は広島東洋カープの一軍広報を務めている。 京都府八幡市で出生。幼少期に東京都杉並区に転居し同地で育つ。 中学時代は杉並シニアに所属し、リトルシニア日本選手権大会3位、ジャイアンツカップ準優勝。高校は、國學院大學久我山高校に進学。1年夏から登板し、同年秋の都大会では準々決勝で森本稀哲のいた帝京高を相手に延長13回完投勝利するも準決勝で敗れた。1999年夏の西東京大会では25回連続無失点を記録、決勝で日大三高から13奪三振も延長で敗れ、甲子園出場はならなかった。 1999年のドラフト1位で大阪近鉄バファローズ、中日ドラゴンズと競合の末、広島東洋カープが交渉権を獲得し、入団した。
矢野 謙次(やの けんじ、1980年9月21日 - )は、東… 矢野 謙次(やの けんじ、1980年9月21日 - )は、東京都三鷹市出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)、プロ野球コーチ。 愛称は「ヤノケン」。 小学校2年の時に「三鷹リトルシニア」で野球を始める。同じリトルシニアには高江洲拓哉が所属していた。三鷹市立第六中学校時代の「三鷹シニア」ではエース兼4番打者として関東大会に出場。國學院久我山高校では同級生に笠木新や田村知佳(女子野球代表、高校女子野球部監督)ら、1年下に河内貴哉がいた。1997年秋季東京大会では河内の好投もあって準決勝に進むが国士舘高に敗退。翌1998年夏の甲子園西東京予選も準決勝で桜美林高に10-9で惜敗、甲子園には届かなかった。
田村 知佳(たむら ちか、1980年 - )は、元女子野球選… 田村 知佳(たむら ちか、1980年 - )は、元女子野球選手。右投右打。現在、高校で教員を務めている。父親は田村登志親(元プロ野球選手)。 小学校1年生のときに野球を始め、中学生になると父親が監督を務める軟式野球チームに入った。 國學院大學久我山高等学校に入学し、同校硬式野球部初の女子部員として男子部員と同じ練習メニューをこなした。同級生に矢野謙次らがいる。1997年に卒業した後、女子軟式野球部のある日本体育大学に進学し女子野球選手として活躍した。本人は日本体育大学に進学した理由として、「ずっと男子の中でプレーしてきた自分にとって、女子だけの中で野球をやってみたいという気持ちが小さい頃からあったから。
森笠 繁(もりかさ しげる、1976年10月4日 - )は、… 森笠 繁(もりかさ しげる、1976年10月4日 - )は、神奈川県横須賀市出身の元プロ野球選手(外野手)、プロ野球コーチ。 1976年に神奈川県小田原市で生まれ、横須賀市で育つ。国学院久我山高等学校では3年時の全国高等学校野球選手権西東京大会でベスト8。関東学院大学に進学後、1イニングに満塁本塁打と3ラン本塁打を放ち、スカウトから注目を集め、「金本2世」と評されていた。最優秀選手3回、首位打者1回、最多打点3回、ベストナイン4回。 1998年、ドラフト4位で広島東洋カープに入団。 即戦力ルーキーとして1999年(1年目)より29試合に出場する。同年4月7日の対阪神タイガース戦(広島市民球場)で、2番ライトでプロ入り初スタメン出場。
井口 資仁(いぐち ただひと、本名:井口 忠仁〈読み同じ〉、… 井口 資仁(いぐち ただひと、本名:井口 忠仁〈読み同じ〉、1974年〈昭和49年〉12月4日 - )は、東京都田無市(現:西東京市)出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、野球解説者・野球評論家。 NPB時代は福岡ダイエーホークス・千葉ロッテマリーンズ時代に日本シリーズ優勝を3度、MLB時代はシカゴ・ホワイトソックス、フィラデルフィア・フィリーズ時代にワールドシリーズ優勝を2度、それぞれ経験している。 2018年シーズンから2022年シーズンまでロッテの監督を務めた。 東京都田無市(現:西東京市)で生まれる。軟式野球チーム「ビクトリー」で捕手として野球を始め、小学6年時に硬式野球チームの「保谷リトルリーグ」に移り、内野手に転向。
佐伯 秀喜(さえき ひでき、1971年4月28日 - )は、… 佐伯 秀喜(さえき ひでき、1971年4月28日 - )は、東京都日野市出身の元プロ野球選手(内野手)。 小学生の時は日野東リトルに所属。中学生で調布シニアに所属し全日本選抜のメンバーとしてアメリカ遠征も経験した。 国学院久我山高では2、3年夏の西東京大会でベスト4。高校通算35本塁打を記録。大学進学希望の為指名拒否を打ち出していたが、1989年度のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから5位指名を受け、入団。 プロ1年目の1990年9月24日、対日本ハムファイターズ戦でプロ初打席初本塁打を放った。しかし、1991年シーズン以降は一軍出場がなく、1998年シーズンオフに現役を引退。 2016年の学生野球資格回復研修を受講した上で、翌2017年2月7日に日本学生野球協会より学生野球資格回復の適性認定を受けたことにより、学生野球選手への指導が可能となる。
川北 和典(かわきた かずのり、1970年11月18日 - … 川北 和典(かわきた かずのり、1970年11月18日 - )は、東京都東久留米市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 國学院久我山高では2年秋の東京都大会準々決勝で修徳高の酒井忠晴に完投負け。3年夏の西東京大会で1学年下の佐伯秀喜らとベスト4、社会人野球のプリンスホテルに入団するが、2年で退社する。 実家の家業を手伝いながら横浜大洋ホエールズの入団テストに合格し、1991年のプロ野球ドラフト会議で8位指名を受け入団。 一軍出場のないまま、1993年限りで現役を引退。
秋元 宏作(あきもと こうさく、1968年1月29日 - )… 秋元 宏作(あきもと こうさく、1968年1月29日 - )は、東京都文京区出身の元プロ野球選手(捕手)・埼玉西武ライオンズのスカウト・育成統括ディレクター。 国学院久我山高では3年次の1985年春の第57回選抜大会に「4番・捕手」として出場するが、1回戦で松商学園に敗れる。同年夏の西東京大会でも準決勝に進むが、日大三高に敗れ、ベスト4。 高校卒業後の1986年4月、日本大学に進学したものの野球部には入らず、母校のコーチを務めていた。同年オフに日大を中退し、ドラフト外で西武ライオンズに入団。 1987年シーズンには、和田博実二軍監督の引率でアメリカ1A「サンノゼ・ビーズ」へ野球留学もしたが、当時の西武は伊東勤が正捕手で固定されており、一軍出場機会はなかった。
伊藤 博(いとう ひろし、1965年11月21日 - )は、… 伊藤 博(いとう ひろし、1965年11月21日 - )は、日本のアスレティックトレーナー、プロ野球コーチ。プロ野球における選手経験はない。 石神井小3年で野球を始め、上石神井中、国学院久我山高、明治学院大学までプレー。その後セントラルスポーツに入社し、全府中野球倶楽部でも野球を続けながら競泳コーチ、道都大学硬式野球部コーチなどを務めた。 2003年に、読売ジャイアンツに二軍トレーニングコーチとして入団する。2005年に、一軍トレーニングコーチに昇格したが、2007年から、再び二軍トレーニングコーチとなった。2015年シーズン途中、再度一軍トレーニングコーチに配置転換。2018年をもって退団。 2019年より社会人野球の北海道ガスにて野手兼トレーニングコーチを務める。